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【反響要約】ブラタモリ #105「天城越え」▽南伊豆の人たちが這ってでも越えたかった難所をタモリさんが征く…【2018年5月19日(土曜日)放送内容まとめ】

ブラタモリ#105「天城越え

2018年5月19日(土曜日)放送の『ブラタモリ』は、天城越え

前回に引き続き今回はタモリさんがいよいよ天城越えを体験!

浄蓮の滝に広がるわさび田旧天城トンネルを越え南伊豆の人たちがいかにして伊豆の北側に抜けたかったか?を探ります。

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ブラタモリ#105「天城越え」番組データ

【放送局】 NHK総合テレビ
【放送日時】 2018年5月19日(土曜日)19:30~20:15
【ロケ地】 静岡県
【番組タイトル】 ブラタモリ「#105 天城越え
【出演者】 タモリ 林田理沙(NHKアナウンサー)
【語り】 草なぎ剛

 

いよいよ天城越えの坂に入ります――

前回に引き続き、ユネスコ世界ジオパーク伊豆半島」が舞台です。旅のお題は「どうして越えたい天城越え?」

天城越え」とは、東海道「三島」と下田を南北に結ぶ「下田街道」の一部、命がけの最も険しい峠です。

タモリさん、林田理沙アナはいよいよ天城越えの坂に入るところ――。

天城越え」の歌詞で有名な「浄蓮の滝(じょうれんのたき)」に居ます。

案内人は、伊豆半島ジオパーク専任研究員の鈴木雄介さんです。

伊豆の名産品「わさび」の一大産地へ

人々が求めてやまない伊豆の名産品「わさび」。浄蓮の滝には、わさび田が一面に広がっていました。

江戸時代、にぎり寿司ブームが始まった当時、わさびは必要不可欠なものだったといいます。ここは江戸のわさび需要を支えた歴史的な一大産地だったのです――。

わさび農家の安藤敏男さんがタモリさん、林田アナにわさび沢を案内しました。

わさびは1年数ヶ月で、出荷できるちょうど良い長さに成長します。

あまり年数が経つとどんどん長く大きくなって商品にはならないそうです。

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わさびと滝の意外な関係とは?

わさびは、川の水を使わず、溶岩から染み出てきた湧き水を使って栽培しています。

その理由は、1年を通して水温が一定だから――。水温が12度~13度位の狭い範囲の温度で無ければ上手く育たないそうです。

わさび沢は、山の谷に沿って分布していて、溶岩の湧き水が豊富な場所に広がっています。平地が少ない伊豆半島では他の農作物は育たないため、わさびが最適な農作物となっていました。

わさびを擂る(する)のが得意なタモリさんがさっそくわさびをすって試食。

わさび沢の安藤さんに「わさび丼」を教えてもらいました。

わさび丼の作り方 ――

  1. すったわさびをお皿にあける
  2. そこに砂糖を小さじ1杯入れてわさびとよく混ぜあわせる
  3. しょうゆとたっぷりの鰹節を入れて混ぜる
  4. これを白いごはんのうえにかけて食べます

ちょこっと載せればバツグンの存在感のあるわさび丼は、タモリさんも「美味しい」と言いながら食べました。

天城越えのメインルート「天城峠」へ

タモリさん一行は、天城越えのメインルート「天城峠」を目指します。

標高およそ700mにある天城峠は、わずか50年前までは天城越えのメインルートとして現役で活躍していました。

映画「伊豆の踊子」(1963)では吉永小百合さんがこのルートを歩いています。

伊豆の踊子

伊豆の踊子

 

――つづら折り(九十九折り)を越えて、両脇に落石止めが見える険しい道へ。

標高は700mにもなる高い場所ですが付近は大昔、海底だった場所です。

辺りの岩をみると緑色をした海底で出来上がった、もろい岩(凝灰岩=ぎょうかいがん)がたくさんありました。

幕末に初代アメリカ総領事を務めた「タウンゼントハリス」も天城越えをしたときは馬も使えずとても苦労したとのことです。

天城越えの革命だった「旧天城トンネル」

旧天城トンネル(天城山隧道)は、天城越えに革命をもたらしました。

明治38年に開通、全長約446mの石造りのトンネルで現存している物では日本で最長の石造りトンネルだそうです。

大正5年には路線バスまで走り、かつて1日かがりだった天城越えが、数時間で通れるようになったのです。

タモリさんも実際に内部を歩きました。冷たい風が吹き付け冬には3mのつららが出来るそうです。

また、北口と南口では使われている石が違い北口(北伊豆側)は「玄武岩(城の石垣などに使われる頑丈な石)」で、南口(南伊豆側)は「凝灰岩(水中で出来たもろい石)」で作られています。

これは、南伊豆に住む人々が南口を玄関として考えていたからでは無いか?と伊豆ジオパークの鈴木さんは考えています。

トンネル工事に支払った金額の6割は南伊豆の人たちが支払いました。

当時は、南伊豆の人々の本州への憧れはとても強く、「這ってでも越えたい天城越え」だったのかもしれません。

明治22年には東海道線が開通し、南伊豆側の人々は屏風のように連なる高い山々に分断され陸の孤島となってしまいました。

そこで、南伊豆の人たちはトンネルを作り少しでも北へ行くルートを確保したのでした。

大正15年に生まれた稲葉修三郎さんは生まれてから現在まで南伊豆側暮らしています。

初めてトンネルを越えた昭和9年の当時は「とても感激し嬉しかった。人間はとんでもないことをやる!と思った」そうです。

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天城越えをさらに進化させた「もう一つの革命」とは?

1978年に伊豆大島近海地震が起きました。マグニチュードは7。

河津周辺の道はもろく崩落してしまいました。

そこで考えられた画期的な道が「河津七滝ループ橋(かわずななだる)」。

再び崩落の可能性のある九十九折りの道を使わないで、45メートルの高低差を解消するためのループ橋を建設しました。

人を寄せ付けない険しい山を越えて広いさせ回と繋がりたい…その思いは長い年月と人手をかけてトンネルとなり、ループ橋となったのです――。

 

(※2018年5月19日(土曜日)放送「ブラタモリ「#105 天城越え」」より)

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ブラタモリ』放送終了後の反響ツイートは?

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次回の『ブラタモリ』は山口県「萩」

次回のブラタモリは、山口県「萩」。総合テレビ26日(土曜日)夜7:30より。

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前回の『ブラタモリ』は「伊豆・前編」

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