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【反響要約】ブラタモリ #104 伊豆▽タモリさんも超えてみたい?決死のルート「天城越え」…【2018年5月12日(土曜日)放送内容まとめ】



今回の『ブラタモリ』は #104 伊豆

2018年5月12日(土曜日)に放送の『ブラタモリ』は、静岡県の伊豆が舞台です。

石川さゆりさんの名曲で有名な「天城越え」。昔は決死のルートだった「天城山」も、今では年間4,500万人の観光客がやってきます――。伊豆の南北を結ぶ峠の成り立ちを、タモリさん、林田アナが探索します。

ブラタモリ #104伊豆 番組データ

【放送日時】 2018年5月12日(土曜日)19:30~
【再放送】 2018年5月22日(火曜日)23:55~
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ「#104 伊豆」
【出演者】 タモリ 林田理沙(NHKアナウンサー)
【語り】 草なぎ剛

雨の「月ヶ瀬梅園」からロケスタート

雨が降る伊豆「月ヶ瀬梅園(つきがせばいえん)」からロケスタート。

林田アナは、小学校4年生の林間学校で天城に来たことがあるとのこと。タモリさんは、伊豆が好きで何度も訪れているそうです。

月ヶ瀬梅園からは、1,000メートル級の山々が連なる「天城連山」を一望する事が出来ます。(ロケ日はちょうど雨が降っていて、霞がかかっていました)

そして天城と言えば、歌謡曲「天城越え」が有名ですが、タモリさんのお友達はこの歌のサビでいつも泣いてしまうそうです。「きっと歌詞に似た何かがあったのでしょう…」とタモリさんがニヤニヤ…。

天城越え

天城越え

 

今回のテーマ「どうして越えたい”天城越え”」

今回のテーマは「どうして越えたい”天城越え”」です。

案内人は、以前伊豆の回(2015年1月16日#27「熱海」)でもお世話になった、鈴木雄介さん(伊豆半島ジオパーク)です。

 

天下の難所「天城越え」とは?

天城越えとは、東海道の三島宿から、港町の下田までを結ぶ「下田街道」の一部です。

伊豆半島は険しい山々が半島全体を覆い、江戸時代、下田と三島宿を行き来するためには天城山の急で険しい道を命がけで越えなくてはなりませんでした。

天城越えのスタート地点「湯ヶ島」へ

タモリさん一行は、天城越えのスタート地点となる「湯ヶ島(ゆがしま)」へ。

ここは天城山のふもと、江戸時代の人はここでいったん休憩し体力を貯め、一気に天城越えをすることになります。

明治時代になると「湯ヶ島温泉」として人気の温泉地となり、川端康成や井上靖などの文豪達が執筆活動をするために長く滞在したと言います。

湯ヶ島で書かれた名作には川端康成の「伊豆の踊子」(映画は1963年)などがあります。

youtu.be

隠れ宿「伊豆天城湯ヶ島温泉白壁荘」へ

タモリさん一行は、天城山の地形の成り立ちを目の当たりに出来るという噂の宿「伊豆天城湯ヶ島温泉白壁荘」へ移動しました。

宿の女将、宇田倭玖子さんの案内です。

この宿は、石川さゆりさんの名曲「天城越え」が誕生した場所でもあるということで、記念の直筆原稿が飾られていました。

1985年位に石川さゆりさんや作曲家、作詞家の先生が滞在し、実際に天城峠を歩きながら完成させたといいます――。


ブラタモリにて紹介!「天城越え」が生まれた隠れ宿です

宿の名物「巨石露天風呂」から判る天城山のなりたち

宿には直径5.3メートルもある天然の巨石をくりぬいて作った巨大露天風呂がありました――。

タモリさんも驚いたその岩は、「安山岩」(噴火で流れ出た溶岩が冷えて固まった岩のこと)で出来ています。

この巨石は、およそ60万年前に天城山から流れて出てきた溶岩が固まって出来たものでした。

天城山がとても高く険しかった(出来た当初は1440m)ため、雨風で崩れ落ちる岩も巨大でした。さらに川によって丸く削られた巨石がこの付近(天城山のふもと周辺)にはごろごろしています。

宿の「女風呂」をのぞかせてもらう!?

タモリさん一行は、宿の女風呂をのぞかせてもらいました。(もちろんお客さんはいません)。

すると風呂の壁に、天城山の地層があらわになった場所がありました。

この地層は凝灰岩(=火山灰が水中に堆積して固まった岩)で出来ています。

水中で固まった凝灰岩で出来ていることから、およそ2000万年前は海底火山だった天城山は、プレートの影響で押し上げられ、高い山となって地上に出てきたと考えられています。

2000万年前、この場所は海底にあったのでした。

そして、伊豆半島の真下にあるプレートは日本列島とぶつかる方向に今も進んでおり、伊豆半島は南から移動して本州にぶつかって付近の山々を押し上げながら繋がっていったのです。

「這ってでも越えたい天城越え」なぜ越えたい?

江戸時代は高く険しい天城山、オオカミも出没しここを抜けるのは本当に命がけでした。

どうしてそんな難所に分け入ってまで北へ越えたかったのでしょうか…?

ここからの案内人は、伊豆の歴史を研究する歴史研究家の、橋本敬之さん(伊豆学研究会)です。

橋本敬之さんが江戸中期に作られた地図「豆州天城山見取絵図」を見せてくれました。よく見ると山が立体的に立つようになった元祖3Dマップです。

当時江戸幕府は、南伊豆を木材、炭、薪など、江戸への木材の大きな供給地として開発しました。

江戸の人々にとってこうした資源はお宝でした…。だからこそあえて険しい天城山を越え、これらの資源を手に入れていたのです――。

曲の大ヒットで観光地に?「浄蓮の滝」

「天城越え」の歌詞に出てくる浄蓮の滝(じょうれんのたき:高さ25m:年間52万人の観光スポットになりました)に移動しました。

あたりはとても急峻な谷が続いています。ずっと進んで行くと立派な滝が見えます。

滝は曲のヒットで観光地となりましたが、江戸幕府が求めたものは滝で無くなんとわさびでした――。

このエリアは山が多く、通常の農作物が育てにくい土地だったため「わさび」の栽培には適した場所でした。しかも一年を通して水温が一定な湧き水も豊富だったのです。

滝の周辺にはわさび田が広がり、あたり一面鮮やかで綺麗なグリーンです。しかも江戸時代に起きた「にぎり寿司」ブームでわさびの需要は一気に増えたのでした。

現在でも、わさびの生産量は日本全国のおよそ4割を占めています。

わさび農家の、安藤敏男さんが案内しました――。(次回「伊豆2」へ続く)

(※2018年5月12日(土)放送「ブラタモリ「#104 伊豆」」より)

ブラタモリ放送終了後の反響ツイート

https://twitter.com/WKHuSjO0fblKqDk/status/995264460854935552

次回のブラタモリは「105 伊豆・その2」

次回のブラタモリは伊豆の後編。いよいよタモリさんが天城越えに挑戦?

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前回のブラタモリは「103 京都・宇治」

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