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【ルートまとめ】NHK ブラタモリ #73 「尾道」▽単なる荘園の港町から観光客670万人を呼ぶ人気エリアになるまでの歴史を探訪…【2017年5月20日(土曜日)放送内容】

ブラタモリ #73 尾道

2017年5月20日(土曜日)に放送のブラタモリは、広島県尾道市」へ。海と坂に立ち並ぶ家や路地、数々の映画の舞台ともなる魅力的な街です。タモさんと近江アナが初めての尾道を探索、地形から歴史を紐解きます。

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ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年5月20日(土曜日)7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【ロケ地】 広島県尾道市
【ロケ日】
【出演】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【語り】 草彅剛
【テーマ曲】 井上陽水

二人ともほぼ初めての「尾道

尾道市を探索する、タモリと近江友里恵アナ。

近江アナは初の尾道で、タモリは通過程度の経験ならあるという…。ふたりともほぼ初めての尾道訪問となった。

尾道は、平坦な場所は少なくほとんどが急な斜面か反対側はすぐ海になっている。そのため、街のあちこちにとても急な階段が連なり路地や家が尾道独特の風景を形作っていた。

今回のテーマ「なぜ人は尾道に魅せられるのか?」

延々と続く急な階段を上がるタモリ。息を切らし「すごいな、大変だこの街は!」と言わずにはいられない。

そこにタモ手箱が…。今回のテーマは、「なぜ人は尾道に魅せられるのか?」。

さらに今回の案内役、尾道市文化振興課学芸員の西井亨さんが登場した。

西井さんは尾道文化財などを守る仕事や、(マニアックな)街歩きガイドで活躍中。

映画や小説の舞台「尾道

尾道はこれまでに数々の映画や小説の舞台となっている。この海沿いの小さな街には、観光客が年間670万人も訪れ大人気。

日本の懐かしい郷愁を感じさせる風景が尾道にはあるらしい…。

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尾道の3つの魅力とは?

階段を上がって高台にのぼるとそこには、天寧寺(てんねいじ)の三重塔(室町時代)、尾道水道や向島(むかいしま)が見渡せるとても美しい眺めがあった。

案内人、西井さんが挙げる尾道の魅力が3つ――

  1. 古い寺や神社が多い
  2. 川のような海「尾道水道」
  3. 坂道の家や路地

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古い寺や神社が多いのは何故?

タモリ一行は、合計約350段の階段を登り天寧寺(てんねいじ)の三重塔の更に上「千光寺(せんこうじ)」というお寺を目指しさらに階段を上がった。

千光寺の住職、多田真祥さんが案内。

ここには「三重岩」「玉の岩」という奇岩がそびえ立っていた。タモリも見上げてその巨大さに驚く。

千光寺の境内は多くの巨大な岩に囲まれていて、これらの岩こそが尾道に寺や神社が多い理由ともなっているという。

尾道平安時代の終わり頃、巨岩・奇岩を使った僧侶たちの御神体や神聖な修業の場として発展した歴史があると住職が語る。

国宝「浄土寺」は鳩を大切にする…その訳は?

さらに山を登る――。

浄土寺の入り口へたどり着くのにも、もちろん急な階段は避けられない…。

「やはり歩いていただくしかないですね」と笑顔の学芸員・西井さん。

浄土寺は、なんと土地と建物を含めた全てが国宝となる珍しいお寺だった――。

タモリ一行が立っている地面までも国宝に指定されているのは、京都・清水寺とこの「浄土寺」以外には無い。

土地が国宝に指定されている理由は、鎌倉時代に建てられた建物の配置が当時のまま今に残されているから…。その配置は建歴史的にとても重要だという――。

浄土寺伝書鳩を飼っていた?

浄土寺の住職、小林暢善さんが案内する。

江戸時代に建造された重要文化財の「浄土寺 裏門」を特別に見せてもらった。

細い階段を上がり、タモリも裏門の天井裏に。

なんとそこには「伝書鳩用の鳩小屋(跡)」があった――。

実は平安時代の終わりから江戸時代、浄土寺の大口スポンサー(=焼けた浄土寺を再建したのは20代の商人だった)は豪商たち商人でお米の相場を一刻も早く知るために「伝書鳩」を使っていたというのだ。

(※ただし当時伝書鳩で相場を知ることは禁止されていたが、商人たちはお寺を隠れ蓑に使っていたとされる)

そのため、浄土寺では今でも鳩を大事に扱っている。境内には鳩の餌(30円)も用意され気軽に鳩に餌をやる参拝者たちの姿も見える。

荘園「太田荘」と尾道の深い関係?

一行は浄土寺を離れ商店街へ。

商店街のベンチに座り一人出番を待つ徳島文理大学教授の古田昇さん(自然地理学)がタモリに声を掛けられ登場。

商店街のアーケードはそのまま西国街道となっており大阪や京都とつながっている。

更に北には出雲街道があり、行き着く先は石見銀山⇒出雲へと繋がっていた。

この出雲街道を少し進むと「太田荘(おおたのそう)=今の世羅町(せらちょう)」という大きな荘園(しょうえん)がある。

荘園とは、平安時代(1186年)の貴族が持つとても大きな敷地で世羅台地(せらだいち)という台地の上に作られていた。

尾道が発展したのは、この太田荘に資材を運ぶための港として利用されたのが始まりだったという――。

そのおかげで、鎌倉時代には沢山の商人が尾道に集まり、街は急速に発展した。

尾道」名前の由来は?

地形図を見ると尾道は荘園専用の港として栄えていた頃、現在よりも遥かに山のふもとがすぐ海に沈んでいて平地がほとんど無かった。

このため人々は山の尾根筋を行ったり来たりしながら物資を運搬し、生活をしていたという――。

実は「尾道」の地名の由来は尾根道(⇒おねみち⇒おのみち)を往来したことから付いたと西井さん(※最も有力な説)。

江戸時代、尾道を埋め立て平地を造成した

尾道には平地が本当に無かった…。

そこで少しでも平地を増やそうと海を埋め立てることに――。

尾道絵屏風 安永3(1774)年(浄土寺所蔵)」によると、江戸時代にはすでに埋め立てが始まっていたことがよく分かる。

絵屏風には埋め立て地に石垣が組まれ、まだ造成したての場所も描かれていた。

タモリも「(今歩いている)西国街道のギリギリまで海だったわけですね?」と実際の石垣を見ながら話す。

川のような海「尾道水道」へ

タモリ一行は、尾道水道へ。

尾道水道の川のような細い筋道を持つ海になったのは、両岸からの埋め立てによって徐々に湾の幅が狭くなったため。

対岸までは狭く200m位。タモリも船に乗って海を対岸へ渡る。

日本一短い船旅と呼ばれ、3分くらいで到着した――。

どうして生まれた?「坂道の家や路地」

一行は八幡神社へ移動。

八幡神社で待っていたのは尾道学研究会会長の、天野安治さん。

かつて山は神聖な場所とされ家を建てることは禁じられていた。

しかし明治24年に鉄道が開通、江戸以降平地には人が沢山住んで居たため平地は避けて山際に沿って線路は敷かれ大きくカーブしながら作られている――。

この鉄道を開通させるため、線路予定地に昔から住んでいた山際の民家はそれまでは聖域とされてきた山の方へ移転することになった。

現在も、山へ移動した家のほとんどがお寺か神社の借地となっている。

尾道の魅力「坂道の家と路地」はこうして誕生した――。

「二階井戸」に挑戦!

タモリ一行は、坂道に住む人々の工夫を知るため民家を探訪。

「二階井戸」と呼ばれる尾道にしかない井戸を見学。

この井戸は、真上に穴がありそこからも水が汲めるようになっている(上に住む人が下に降りなくてもよくなっている)

二階井戸から水を汲むにはコツが必要で、タモリも挑戦したがなかなか上手く水が汲めない。そこでベテランのお母さんがコツを伝授。

「あ!わかった!」とすぐにコツを掴んだタモリは二階井戸からの水汲みに成功した。

(※2017年5月20日放送)

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ブラタモリ反響ツイート

次回のブラタモリ倉敷

次回#74は倉敷。6月3日(土曜日)放送予定

前回のブラタモリは「箱根関所」

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