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反響要約「NHK ブラタモリ #63 別府」▽海地獄・流川の暗渠・ラクテンチ・金山ほかを巡る【2017年2月11日(日曜日)放送内容】



ブラタモリ#63「別府」

2017年2月11日(土曜日)よる7時30分からNHK総合にて放送の「ブラタモリ」は、別府。小学校2年位の時に訪れたという地獄めぐり、今回は流川通り中心に別府八湯が発展し合併して出来た巨大温泉都市別府について。キーワードは「海地獄」「流川の暗渠」「ラクテンチ」「金山」ほか。

ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年2月11日(土曜日)夜7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【番組副題】 #63 別府
【ロケ地】 大分県別府市
【出演 ※敬称略】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【案内人1】 永野康洋さん(別府市教育委員会 ※前回も登場)
【案内人2】 松田法子さん(京都府立大学専任講師(都市史))
【ナレーション】 草彅剛

国指定名勝「海地獄」よりロケスタート

タモリと近江友里恵アナは、別府で有名な「各種地獄めぐり」エリアへ。

タモリは小学校2年生位の時に地獄めぐりに訪れているのでかれこれ60年位経っていると懐かしむ。

別府では「高温の蒸気や温泉が自然に湧き出す場所」の事を「地獄」と呼んでいる。

  • 海地獄 ・・・ 含まれる鉱物に光が反射してお湯が青く見える。水温は約98度と高温で湯気が吹き出ている

今回のテーマは「巨大温泉都市・別府はどうしてできた?」

ここでタモカメ登場。

旅のお題は「巨大温泉都市・別府はどうしてできた?」

前回に引き続いて今回も別府市教育委員会の永野康洋さんが案内する。

前回は温泉がどのようにして湧き出るのかを探ったが、今回は別府がどうやって有名な温泉地となったか?について探ってゆく。

大分県No2の都市「別府」とは?

別府は山沿いに「別府八湯」という温泉エリアがあり、それぞれ・・・

  1. 別府エリア
  2. 浜脇エリア
  3. 観海寺エリア
  4. 堀田エリア
  5. 明礬エリア
  6. 鉄輪(かんなわ)エリア
  7. 紫石エリア
  8. 亀川エリア

に分かれている。温泉の湯量は全エリア合わせると日本一を誇り。年間800万人が訪れる。

地獄めぐりも有名で中にはワニが居る「鬼山地獄」などもある。

江戸時代の「温泉番付」を見てみると、当時別府エリアは「前頭三枚目」に位置する、意外に下のランク。しかも(江戸時代には)、別府エリアよりも隣の浜脇温泉のほうが有名だったという。

それがなぜ横綱級の巨大温泉都市に成長したのか?・・・

別府海岸近くの「別府村」と呼ばれていた場所へ

タモリ一行は、海岸近くのかつて「別府村」と呼ばれていたエリアへ。

ここでコーヒーを飲みながら待っていた先生は2016年1月16日放送「熱海」のときにも登場した、京都府立大学専任講師(都市史)の松田法子さん。

今も湯が湧く流川の暗渠をたどる

昭和13年に建てられた共同浴場「竹瓦温泉」を発見。

ただし向かうのは竹瓦温泉ではなく、海へ伸びる石垣。

このカーブした石垣は港に作られた防波堤だった。

別府村(今の別府エリア)が発展したのは明治時代に作られた近代的な港の功績が大きい。

大きな船を留めることが出来、ここから旅館や温泉街が発展した。

明治6年には大阪との定期航路も完成、明治39年には浜脇村との合併もして「別府町」となり巨大温泉都市への礎を作った。

港の効果によって、江戸には有名温泉場だった浜脇村を追い抜き別府村の立場は逆転した。

また、指宿温泉で有名な「砂風呂(砂湯)」もここ別府村が発祥の地だった。

今はコンクリートで埋め立てられている浜で、当時の砂風呂写真と同じように寝そべってみる。

臨時のカーペットを敷いてそこにタモリ、近江アナ、松田先生、永野さんの四人で並ぶ。・・・

「海が正面に見えて意外にここに寝そべるのは気持ちがいいですね」と松田先生。

明治時代は混浴で女性も男性も上半身ハダカの状態だった・・・その様子が判る写真をみて「当時は大らかでいいですね」と妄想が膨らむタモリだった。

場所は「不老泉」という長寿長命の共同浴場へ。

この脇を通るうねった小道(流川(ながれかわ)という川の暗渠)をたどると明治43年にできた広い計画道路(流川通り)へ出た。暗渠として今も残っている理由は「お湯が流れていた」から。

この暗渠沿いには今も温泉が流れており、付近のお店は昔から「マイ温泉」を持っている。(昔は熱かったが今はぬるいという)

明治の終わりにはこの一帯は300件の旅館が立ち並ぶ一大観光地になっていてこうした広い真っ直ぐな「計画道路」が碁盤の目状にできていった。

こうして港側から徐々に発展していったという。

タモリ一行「暗渠巡り」へ

タモリ一行は流川通り付近の暗渠をたどって付近を探索。

川独自の奇妙な曲がり方をしているので、地上からでもわかるとタモリ。

地図上で建物が不自然に並んでいる場所を探ってみると、ほんのすこしだけ暗渠の水面が覗ける場所があった。

別府村はこの流川を中心にして開発が進んでいった。

流川通りの突き当りエリア「ラクテンチ」へ

流川通りを更に進むと「ラクテンチ」というお城のような建物が並ぶ場所に到着した。

ラクテンチは遊園地。

お城のゲートを潜るとケーブルカーが設置されている。

遊園地になる前はこの辺りは「金山」だった。

明治36年~大正5年に金の鉱脈が発見され最盛期には年間20キロ近くの金が採掘され200人以上が働いていた。

しかし掘り続けると金山にはどんどんお湯が出てきて労働条件は悪くサウナ状態でとても金をとるところではなくなったという。

タモリ一行が入ってもメガネが曇って何も見えずとても暑かった。

金山の跡地は遊園地として開発が進み、ケーブルカーをしき一大娯楽地として麓には宅地も広がっていった。

鉄輪エリアへ移動

昭和10年、別府町(少別府)は周辺の温泉地を取り込み大温泉地としてスタートすることになった。

鉄輪エリアでは長期間滞在する当時客向けの観光地として有名。

当時は部屋だけ貸し、料理などは自分でするスタイルがメインで「地獄蒸し」などが完備されている調理場があった。

今も営業する調理場の一つへタモリ一行が案内された。

地獄蒸しとは、野菜などを温泉の噴気で蒸す調理法で百度以上の熱を利用して自炊ができる。

タモリも、野菜や豚肉を使い地獄蒸しを作った。何も付けないのにナスなどがとても甘いとびっくり。

別府が合併した理由は、地獄めぐりができるエリア、湯の花がとれるエリア、眺めが美しいエリアなどこうした様々な魅力をもつエリアが合わさってひとつの巨大温泉地を作るために合併し総称して「別府八湯」となったのだと言う。

ブラタモリ「別府」反響ツイート

次回のブラタモリは・・・

2月18日(土曜日)よる7時30分より。神戸の港。

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