ブラタモリ「京都御所 ~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」
2019年9月7日(土曜日)放送のブラタモリは京都御所がテーマ。天皇の住まいは500年間なぜこの場所にあったのか?です。
ブラタモリ#142 放送データ
【放送日時】 2019年9月7日(土曜日)19:30~20:14
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」
【出演者】 タモリ 林田理沙(アナウンサー) 草彅剛(語り)
【ロケ地】 京都府
【ブラタモリ #京都御所】
— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) September 4, 2019
▽7日(土) 午後7:30〔総合〕
京都御所が今の場所にある理由は?なぜ天皇家は移動を繰り返した? #嵐電 に乗ってひもとく高低差の秘密とは?
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タモリさんが #京都 をブラブラ歩いてその謎を解き明かします!
#ブラタモリ#御所用水 #冷泉家
京都御所からロケスタート!
京都は何度も訪れたタモリさんも京都御所はなぜか今回が初めて。林田アナも今回が初体験だといいます。
500年間…歴代天皇のお住まいだった「京都御所」とは?
京都御所は緑豊富な京都御苑の一角にあります。明治のはじめに東京にお引越しするまでのおよそ500年間、73代もの天皇が暮らしていた場所です。
内部には即位の際に使った「高御座」やきらびやかな障壁画など当時の貴重な品物が現在も残っています。
番組テーマ「天皇の住まいはなぜこの場所だった?」
今回の番組テーマは天皇の住まいはなぜこの場所だったのか?
案内するのは2017年4月8日放送「#69清水寺」でお世話になった、以倉敬之さんです。
京都御所はなぜ中心からずれた場所にあるのか?
京都御所は京都の中心からずれた北東の隅にあります。かつては平安京があり「大内裏(だいだいり)」はしっかりと京都の中心奥を捉えていました。
今からおよそ430年前に建てられた「聚楽第(じゅらくだい)」の跡地にタモリさん&林田アナが到着。
恐れ多い天皇家の跡地「大内裏」に甲子園球場3個分の広さの城を築いたのが、かの豊臣秀吉でした。当時は豊臣政権の首都という位置づけでしたのでかなり大きなお城です。
そして聚楽第も京都御所と同様に北東寄りに建設されています。これは不思議!
『ブラタモリ・京都御所編』御所は大内裏から始まって左京のなかで移っていった。右京が選ばれなかったのは川の氾濫。20cm単位で色分けした枯山水パレットで見ると右京の低さがわかる。御所は鴨川よりも高く水はけの良い場所である。カシミール3Dスーパー地形セット+今昔マップ。#ブラタモリ pic.twitter.com/5Kya87vcee
— DAN杉本 (@DANkashmir3d) September 7, 2019
白河法皇「大内裏が広すぎる!!」
しかしそんな聚楽第のさらに16倍の敷地面積を持つのが「大内裏」でした。
1112年白河法皇は「大内裏が広すぎて政治も儀式も移動が大変だ!もっと生活だけ出来るコンパクトな場所がほしい」と、なんと200回以上も引っ越しをして生活していたそうです。
天皇は右京には住まなかった??
天皇は生活をするためのお屋敷を求めて藤原家などの親戚の豪邸を転々としました。
しかし引っ越しをする場所はいつも左京エリア(京都の中心から左側のエリア)に限られ絶対に右京エリアには住むことはなかったそうです。
それは「天井川(てんじょうがわ)=平地より高い場所に流れる川のことです」があったから。
実は天井川のある右京は洪水を繰り返していた住みにくい地域なのでした。
ブラタモリ
— hiro (@hiro27740312) September 7, 2019
京都御所
天皇が右京に住まなかった理由
理由は天井川。
タモリさん、正解。 pic.twitter.com/mT1PnXTAh9
平安後期左京で洪水が起きなかったのは河岸段丘のおかげ?
京都産業大学の鈴木康久先生によれば、左京にも鴨川がありますが、平安後期に流れが急な鴨川が削って出来た河岸段丘あり、川は市街地よりも2メートル低地にありました。そのため左京エリアでは洪水が起きなかったのです。
NHK「 #ブラタモリ 京都御所」いよいよ明日9/7(土)19時半より放送!まいまい京都ガイド鈴木さん、代表以倉がタモリさんをご案内。ツイッターでも裏話を交えて実況予定です!天皇の住まいはなぜこの場所だった!?一緒に盛り上がりましょう♪https://t.co/DmCbEivluO pic.twitter.com/ff91ZT93vt
— 京都ミニツアー「まいまい京都」 (@maimai_kyoto) September 6, 2019
京都御所は「洪水」を避けて今の場所に落ち着いた…
鴨川が河岸段丘を作り川が下がって洪水が起きにくくなった14世紀頃、京都御所は現在の場所に落ち着きました。
その後500年もの間明治までこの場所に住まわれたのです。
鴨川の上流から3kmに渡って引き込まれた「御所用水」もあり御所内の隅々に水が行き渡る仕組みになっていました。
御用水路は、江戸時代初期には存在が確認される鴨川から井関をもって取水し、鞍馬口通 以北の小山村を中心とした田園地帯を潤しつつ、室町頭あたりから洛中に入り、近衛家別邸「御花畑」(薩長同盟締結地、小松帯刀寓居)の邸内を流れ、上御霊神社、相国寺を経て禁裏(御所)へ #ブラタモリ #まいまい pic.twitter.com/CZoROhk6UC
— 原田良子 (@ryodon315) September 7, 2019
ブラタモリで相国寺の開山堂入ってたけど、何年か前にたまたま公開されていて見ることできた…あれ御所用水だったんだ🙄 pic.twitter.com/NE5Cjb5zjP
— jenius.m 6/26-27京都 (@suger_kyt498) September 7, 2019
京都御所は幕府が管理する神聖な土地!
京都御所の周囲には140もの公家屋敷と門が配置され、幕府や公家は天皇の周囲をかためることによって自身の地位を高めました。
また、門を多数作り御所の内部を特別な空間にしたそうです。天皇を武家政権が管理することで政治は安定したといいます。
まだまだ深いなあ京都御所#ブラタモリ#京都御所#御所用水 pic.twitter.com/sDXuWzhgGE
— KENJI@フェミニストエンカレッジ募集 (@KENJI08032) September 7, 2019
明治に天皇は東京へ移った…
時は明治。天皇も公家たちも東京に引っ越しました。タモリさん一行は小倉百人一首の選者、藤原定家の冷泉家へ。
25代目の冷泉為人さんが屋敷に迎え入れてくれました。為人さんは今も歌会や七夕など当時の様子を伝承しているそうです。
明治時代に多くの公家たちは天皇家と一緒に東京にお供しましたが、冷泉家は京都御所の留守役を天皇から仰せつかり京都に残ったのだそうです。
その時以来冷泉家は、現在に至るまで天皇家の京都御所のお留守を守り通しているのです――。
2019年9月7日(土曜日)放送『ブラタモリ「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」』より
『ブラタモリ』放送終了後の反響ツイートは?
実は今回のロケがあったのは、5月下旬。西陣編ロケの前日でした。御所編の放送は、即位礼で注目が集まるころに、ということで放送日が秋に。服装も真夏っぽくなく、いい感じです。(以倉) #ブラタモリ #実況ツイート pic.twitter.com/WzsEKIIMrS
— 京都ミニツアー「まいまい京都」 (@maimai_kyoto) 2019年9月7日
#ブラタモリ 京都御所
— フーさん (@YSTixdr5CWNyCo6) 2019年9月7日
嵐電が走ってる🚎
右京からあっ!といぅ間に左京か
(゜▽゜*)
#京都御所 で#ブラタモリ
— 和音waon💛⭐✨ (@armonia1024) 2019年9月7日
京都御所の成り立ち
良くわかりました
ヘリばかりのタモリさん
ど真ん中も面白かったですね😉✨
それにしても
安定の
つよぽん💛ナレーション
歴史の謎解きに自然に誘ってくれますね😊
昨日舞台挨拶でLEDが
言えなかった人ですか?😆
https://twitter.com/harukooo6v6/status/1170569166572490752
次回の『ブラタモリ』は…9月21日「比叡山」
次回のブラタモリは、9月21日(土曜日)放送#143「比叡山~比叡山はなぜ”母なる山”になった?~」です。
前回の『ブラタモリ』は…「北海道・阿寒湖」