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【反響要約】ブラタモリ 第160回 熊本県天草・長崎県島原へ~まさに神業?250年も潜伏したキリシタンたちの生き残り戦術とは…【2020年3月14日(土曜日)NHK総合テレビ】



ブラタモリ・隠れキリシタン「天草&島原へ」

今回のブラタモリは、熊本県の天草、長崎県の島原へ。タモリさんと林田アナが、世界文化遺産に登録(2018年)された「潜伏キリシタン」の地を探索…なぜキリシタンが250年も潜伏できたのか…その生き残り戦術について探求しました。

ブラタモリ #160 放送データ

【放送日時】2020年3月14日(土曜日)19:30~20:15
【放送局】 NHK総合テレビ
【ロケ地】 熊本県(天草)、長崎県(島原)
【番組タイトル】 ブラタモリ「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」
【出演者】 タモリ 林田理沙(アナウンサー) 草彅剛(ナレーション)

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

タモリさんと林田アナが訪れたのは、2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に認定された場所のひとつ、天草の崎津(さきつ)集落です。

豊臣秀吉のころは信仰の制限が全くなかったキリスト教でしたが、江戸時代に入り厳しい取締りに遭いました。その様子は遠藤周作さん原作、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』にも描かれているそうです。

キリシタンたちは明治になるまでの250年間を耐え忍びながら信仰を続けてきたのです。


映画『沈黙-サイレンス-』本編映像”井上筑後守”

無花果(いちじく)は天正遣欧少年使節がもたらした?

タモリさん一行は、崎津の街へ。ここで今回の案内人、熊本大学の安高啓明さんが登場。安高さんは日本近世史の専門家です。

お店には「無花果(いちじく)」が売られていていました。この辺りではいちじくを「南蛮柿」といい、天正10年(1582)にローマへ派遣された少年たち(天正遣欧少年使節)が持ち帰って以来名物になったそうです。1582年当時の崎津は南蛮渡来の楽器(イタリアンヴァージナル、リュートなど)なども入ってきてとてもにぎやかな街だったそうです。新しいものが大好きな豊臣秀吉が気に入って何度も訪れていたとのこと。

今回のテーマは「なぜキリシタンは250年も潜伏できた?」です。

キリスト教が伝来してからの歴史をまとめると…

安高さんがキリスト伝来からの歴史年表を広げて主な出来事をまとめてくれました。

  • 1549 … キリスト教伝来(フランシスコ・ザビエル)
  • 1563 … 島原にキリスト教布教
  • 1566 … 天草にキリスト教布教
  • 1571 … 織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ち
  • 1582 … 天正遣欧少年使節がローマへ、本能寺の変
  • 1605 … 徳川秀忠が2代将軍になる
  • 1614 … 大坂冬の陣、江戸幕府が全国に禁教令を発令
  • 1616 … 欧州船の寄港地を平戸・長崎に制限
  • 1627 … 雲仙でキリシタンの取締りが始まる
  • 1628 … 長崎で「絵踏」が始まる
  • 1635 … 全国で寺請制度(すべての人がどこかの寺院の檀家にならなくてはいけない制度)が始まる
  • 1637 … 島原天草一揆勃発
  • 1639 … ポルトガル船の来航禁止
  • 1641 … オランダ商館が平戸から長崎の出島に移動
  • 1805 … 天草崩れ(密告により村人の7割がキリシタンだとばれてしまう)

当時キリシタンが潜伏できた理由とは?

崎津(熊本県天草市)では、主に庄屋がキリシタンを取り締まっていたそうです。

庄屋はキリストの描かれた絵を踏ませ自分がキリシタンで無いことを証明させていました。

ただし潜伏キリシタンたちは意外に平気に踏み絵を踏んでいたといいます。1669年頃登場した真鍮製の踏み絵は十字架(ロザリオ)もなく仏教徒が作った非常に雑な絵で不完全だったためそれほど罪悪感がなかったのかもしれません。

(↓ 今回の案内人、安高啓明さんによる”意外に踏み絵はキリシタンでも踏んでいたもの…”という裏話的な歴史書だそうです)

踏絵を踏んだキリシタン (歴史文化ライブラリー)

踏絵を踏んだキリシタン (歴史文化ライブラリー)

 

十字架もマリア様の絵も誰にも気づかれなかった…

また、日本料理を営む宮下剛さんは潜伏キリシタンの子孫、44歳の宮下さんですが潜伏キリシタンのことは42歳の時に世界文化遺産に決まったのをきっかけにして知ったといいます。十字架は8つの寛永通宝(丸い硬貨がヤっつ=マルヤ=マリヤ)を十字に並べたものだったり、天然のアワビの模様を天使に見立てたもので全く他人にはわからない信仰を続けたとのことです。

潜伏キリシタンなのに寺院の氏子総代?

さらに潜伏キリシタンの子孫、宮下さんの先祖は寺院の氏子総代でした。当時は「寺請制度」があり、幕府は寺院に所属し奉仕を行うものはキリシタンではないという証明書を発行していたのです。天草はあまり宗教にこだわらない風土がありキリシタンでありがながら寺院の仕事もきっちりこなしていました。

そのため潜伏キリシタンであっても同時に寺院の重要な役職の者もいたため、より徹底した潜伏ができたのです。

1805年密告により信仰がバレる?…天草崩れ

1805年に天草崩れという事件が起こりました。天草崩れとは、密告によって村人の7割がキリシタンだと発覚した出来事です。

当時キリシタンは処刑されていましたが、なんと天草の潜伏キリシタンたちは何を免れることに成功しました。

どうやって処刑を免れたのか…それは幕府側も「寺請制度」も「踏み絵も踏んでいる」全て幕府の指示に従っているものにキリシタンだと言うことは出来ない、彼らがキリシタンならば 制作が無意味だと認めてしまうことになる…。という理由だったのです。

幕府の役人たちは彼らがキリシタンではなく「宗門心得違い」だったという結論をひねり出し村人は全員助かりました。

タモリさんは「今の日本の政府と(役人たちが知恵を絞って無理やり筋が通るように話を合わせる仕組みは)変わってないってことなんだな…。」と納得していました。

長崎県の島原半島へ移動

タモリさん一行は熊本県の崎津から、長崎県の島原半島へ船で移動。

途中島原天草一揆で両陣営が相談した島も発見。ちなみに一揆軍の総大将、天草四郎時貞は不思議な力を持っているという伝説があり、モーゼの十戒のように海の上を渡る力があったといいます。タモリさんは「四郎のほうがすごいよね、モーゼより素早く海を渡れるからね、モーゼは海を割るのに時間がかかりすぎる」と笑いました。


神童・天草四郎出生にまつわる謎と島原の乱の秘話に迫る!

ついに島原天草一揆勃発!3万7千人のキリシタン+農民が蜂起

島原の原城で案内したのは、奈良大学教授(城郭考古学)の千田嘉博先生。(第151回「姫路城」(2019年12月14日放送)にも登場)

一揆軍の根城となったのが、原城(はらじょう)。嶋原御陣図(伝習館高等学校所蔵・柳川古文書館所蔵)によれば丘をまるごと敷地にしたお城で、とても広い敷地面積です。

1637年、江戸幕府のキリスト教に対する圧力に反対し、ついに潜伏キリシタンは一揆を起こしました。その数3万7千人。それに対し幕府軍は12万5千人、原城は非常に難攻不落のお城で石垣の絶壁と数多くの枡形、水が湧く池「蓮池」になどより3ヶ月の籠城に耐えました。

真水の湧く池「蓮池」のヒミツ

蓮池は海の直ぐ側にある池。池の水はもちろん海水でなく真水です。

そのヒミツは地質にありました。島原半島ジオパーク協議会の、大野希一さんによれば、原城の地質は上下で異なっていて、下は海で溜まった泥岩層、崖の部分(上部)は阿曽山大噴火(Aso-4、今から9万年前)で流れてきた火砕流の堆積物です。

崖の上に降った雨水は泥岩の層で止まり真横に流れて蓮池の水になったのでした。

島原天草一揆が後の潜伏キリシタンの命を救った…?

島原天草一揆は3ヶ月で終了、一揆軍は老若男女全て全滅しました…。

「しかしキリスト教がここまで信徒を奮い立たせ死もいとわず幕府と戦う様子に当時の幕府はキリスト教に対して相当な恐怖を感じたんじゃないでしょうか。」とタモリさん。

この島原天草一揆(1637年)があったおかげで後の1805年、密告により潜伏キリシタンがばれた事件「天草崩れ」の時も、「宗門心得違い」という苦肉の策で幕府は信徒の反乱を避けようとしたのではないかとも言われているそうです。

【林田アナは今回が最後のロケでした】

林田理沙アナは今回が最後のロケとなりました。「たぶんブラタモリの思い出を抱きしめながら一生生きてゆきます」と涙を見せていました。タモリさんも「いや大したことも出来ず申し訳ございません」と挨拶しました。

 

2020年3月14日(土曜日)放送『ブラタモリ「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」』より

 

前回の『ブラタモリ』は…159回滋賀県甲賀市

yonta64.hatenablog.com

次回の『ブラタモリ』は…161回「法隆寺」

次回のブラタモリは第161回、法隆寺。なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?です。4月11日(土曜日)よる7時30分より放送予定。

『ブラタモリ』関連グッズの紹介

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

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