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ブラタモリ 熊野【反響ツイートとルートを紹介!】タモリさん紀伊半島南部エリア(和歌山県)をブラブラ~那智の滝・熊野那智大社・八咫烏・補陀落渡海ほか…【2019年4月20日(土曜日)放送 NHK総合テレビ】



ブラタモリ「なぜ熊野は日本の聖地になった?」

今回のブラタモリは和歌山県・紀伊半島の南部一帯…熊野古道へ。

壮大な那智の滝はどうやって出来たのか?熊野三山を一大霊場にしたプロデューサー「山伏(やまぶし)」の活躍や、太平洋の彼方にある極楽浄土を目指した”補陀落渡海”ほかブラブラ歩いて解き明かします。

ブラタモリ「熊野」番組データ

【放送日時】 2019年4月20日(土曜日)19:30~20:15
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ#131「熊野~なぜ熊野は日本の聖地になった?~」
【ロケ地】 熊野(紀伊半島の南部エリア)
【出演】 タモリ 林田理沙(NHKアナウンサー)

熊野古道「大門坂」からロケスタート!

今回の舞台は「熊野」。紀伊半島の南部一帯を指す地名だそうです。2004年には「紀伊山地の霊場と参拝道」として世界遺産に登録されました。

タモリさんと林田アナは「大門坂(だいもんざか)」からロケスタート!

テーマ「なぜ熊野は日本の聖地になった?」

今回のテーマは「なぜ熊野は日本の聖地になった?」です。

案内人は国際熊野学会の山本殖生(しげお)さん。この地では平安時代より「熊野詣で」が盛んに行われていました。

熊野詣でとは、熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社を巡礼することを言います。(11世紀頃、熊野三山が霊場として有名になり一つのまとまりになりました)

京都から出発する場合はなんと片道300km!往復で1ヶ月近くもかけて歩いたのです。

全国から貴族や武士、庶民などの参拝者が蟻の行列のように連なって旅したことから「蟻の熊野参り」と呼ばれました。

京の都の上皇たちも自らの足で山に登り熊野詣でをしています。その回数はーー

  • 後白河上皇…33回
  • 後鳥羽上皇…28回
  • 鳥羽上皇…21回

今も多くの人が上皇や法皇の旅した道と全く同じ道を歩いています…。

大門坂を過ぎいよいよ那智の滝が姿を見せた!

タモリさん&林田アナ一行は、熊野詣での玄関口「大門坂」の石畳を歩きます。

石畳は「砂岩」で出来た美しい道が奥へ奥へと600mも続いています。砂岩は周りの谷から持ってきたもので江戸時代に大整備されました。

大門坂を過ぎ、飛瀧神社へ。いよいよ落差133m日本一「那智の滝」が姿を見せました。

那智の滝は聖地熊野のシンボル。滝はご神体そのものです。これだけ壮大な景色を見せられると熊野には神様がいる!と誰もが信じるようになるのです。旅人は地元に帰ると極楽へ行ってきた。生まれ変わってきたという話をし、どんどん参拝者が増えるのでした。

ご神体「那智の滝」はどのようにして出来た?

案内するのは南紀高等学校で地球科学が専門の教諭、田原敬治先生です。

那智の滝は流紋岩で出来ています。

  • 流紋岩とは? = マグマが冷えて固まった硬い石

大門坂の石畳は砂岩で出来ています

  • 砂岩とは? = 砂が堆積して固まった石、比較的柔らかい

那智の滝はちょうど流紋岩と砂岩の境目にあります。砂岩は柔らかいので川に削られ、流紋岩は硬いため削られることなく崖として残りました。

その結果、流紋岩の崖(那智の滝)と削れた砂岩のエリア(大門坂周辺)は133mの高低差が付いて滝となったというわけです。

熊野那智大社へ

タモリさん一行は那智の滝を後にして熊野那智大社をお参り。

現在那智大社の拝殿は修復工事が完了し金色に光り輝いています。熊野那智大社の宮司、男成洋三さんが境内を案内します。

普段は入れない神聖な場所には大社のシンボルである「八咫烏」が岩に姿を変えて休んでいるという伝説のある岩がありました。

  • 八咫烏(ヤタガラス)とは? = 三本足のカラスで日本の初代天皇とされる神武天皇を大和の都まで導いたとされる(サッカーJFAのシンボルマークにもなっていて三本目の足でボールを持っています)

また、普通はお寺で行う護摩木(ごまぎ)のお焚き上げを行っています。これは隣にある那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)というお寺のものでお寺と神社が一体になっていました。

これを神仏習合(しんぶつしゅうごう)といい、現世は神が守り、あの世へ行った時は仏が守るというダブルの御利益でありがたさがアップしたのです。

神仏習合のW御利益の噂は奈良や京都まで知れ渡り上皇や武士、平民がこぞって参拝したのでした。

熊野三山を繋げたプロデューサーとは?

平安時代、熊野三山(熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社)は一大霊場として3つセットでプロデュースされました。

プロデューサーは、山伏たちです。

案内人は、那智山青岸渡寺副住職の高木亮英さんがホラ貝を吹き、山伏の出で立ちで登場しました。

山伏たちは、熊野という霊場を都の上皇、法皇に認めてもらい拡大させてきました。

紀伊山地の地形のなりたちを探る

三重塔へやってきたタモリさん一行。

見渡せば山の間から太平洋が覗いています。急峻で険しい紀伊山地は1000mから2000m級の山が連なっています。

太平洋からすぐに切り立って盛り上がる紀伊山地は、300万年前にフィリピン海プレートと太平洋プレートの合力によって押され盛り上がった(曲隆大地)のでした。

紀伊半島は日本でも雨の多い土地のため、雨でどんどん山は浸食されますが、今も紀伊山地はプレートに押されて盛り上がっているため、平坦にならず山はどんどん険しくなってゆきます。こうして熊野は険しい霊場となったのです。

熊野の海も聖地にした信仰者たち…

熊野の信仰は滝、川、巨岩と続いてきましたが、やがて海にも広がりました。

タモリさん一行は、補陀洛山寺へ移動。

  • 補陀落(ふだらく)とは? = 観音様の浄土という意味。苦しみのない仏の世界

熊野信仰の究極、海の果てに極楽浄土があるのでは?という考えはやがて実行に移されます。

補陀洛山寺の住職達は棺桶を乗せた船「補陀落渡海船」を建造、その船に死を覚悟して乗り込み、太平洋の果てにあるという極楽浄土の世界を目指したのでした。

9世紀から18世紀にかけて補陀洛山寺の住職20名以上が海の彼方に消え二度と戻ることはありませんでした…。

「熊野も大変なことになったねぇ、寒かったろうにねl、究極の進行ですね、だれか辞めようって言う人はいなかったのかね…。すごい」と話しました。

 

2019年4月20日(土曜日)放送『ブラタモリ#131「熊野~なぜ熊野は日本の聖地になった?~」』より

 

『ブラタモリ』放送終了後の反響ツイートは?

『ブラタモリ』次回は熊野の観光編

次回のブラタモリは「熊野」第2弾!熊野の観光。27日(土曜日)夜7時30分より。

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『ブラタモリ』前回は甲府盆地

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『ブラタモリ』関連グッズの紹介

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