ブラタモリ「三重県伊賀市」忍者編
今回のブラタモリは三重県伊賀市へ。忍者はどの様に生まれ、世界的に有名になったのでしょうか…。洪水の多かった伊賀地域では土地の奪い合いが絶えず、やがて武装した農民が生まれたそうです。この武装農民が山伏の知恵を取り入れ究極の戦い方=”忍術”を手に入れたのだといいます。
- ブラタモリ「三重県伊賀市」忍者編
- ブラタモリ第158回放送データ
- 伊賀上野城前からロケスタート!
- 忍者という集団はどうやって発生したのか?
- 伊賀が争いの地になったのは土地の奪い合い?
- 伊賀周辺はもともと湖…ぬかるみで住むところは限られていた…
- 伊賀にあった湖が移動して琵琶湖が出来た?
- 武装農民は修験道の山伏たちから忍者の基礎を学んだ?
- 天正伊賀の乱で忍者は一躍有名に?
- 江戸時代…天下泰平が訪れ忍者は消えた…
- 次回の『ブラタモリ』は…甲賀・信楽へ
- 前回の『ブラタモリ』は…三陸・岩手開発鉄道ほか
- ブラタモリ関連グッズの紹介
ブラタモリ第158回放送データ
【放送日時】 2020年2月29日(土曜日)19:30~20:15
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ「伊賀忍者~なぜ伊賀は”NINJA”の里になったのか?~」
【出演者】 タモリ 林田理沙 草彅剛
【ロケ地】 三重県伊賀市
【29日夜】 #ブラタモリ “NINJA”の里へ!?
— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) 2020年2月26日
訪れたのは三重県の伊賀市。伊賀の複雑な地形は琵琶湖がうんだ?
山伏から学んだ特殊能力とは?さらに、水蜘蛛は本当に水面を渡れるのか?忍術書に隠された秘密をひもときます。[総合]
#タモリ #林田理沙 #草彅剛 https://t.co/uNIt2mVXrW
伊賀上野城前からロケスタート!
忍者で有名な三重県伊賀市にやってきたタモリさんと林田アナ、伊賀上野城前からロケスタート。
忍者の里として同じく有名な滋賀県甲賀市は伊賀のちょうど真上にあります。このエリアで忍者が生まれたのはどうしてでしょうか?
今回のテーマは「なぜ甲賀は”NINJA”の里になったのか?」です。
三重大学国際忍者研究センター副センター長の山田雄司先生が今回のナビゲーター。山田先生は学問として忍者の実際の姿を研究しています。
タモリさん&林田アナは、伊賀上野城近くの忍者博物館で色々な仕掛けで楽しめる忍者ショーを見学しました。
NHK「ブラタモリ」で放送された
— 阿修羅 TV(ASHURA TV) (@TvAshura) 2020年2月29日
「伊賀流忍者屋敷」での忍者VS侍の
ノーカット映像を公開!
(これはタモリさんが伊賀へ来る前日に撮影した本番リハーサル映像です)
2020.2.29#ashuratv #NINJA #ブラタモリ pic.twitter.com/jjpxk4hpKU
忍者という集団はどうやって発生したのか?
伊賀市教育委員会事務局文化財課課長の、笠井賢治さんが案内。
タモリさん一行は、川東という農村地帯へ移動、辺りにはなぜか土塁(どるい=土を盛って敵の侵入を防ぐ盛り土)をまとった住宅が沢山ありました。
土塁のある家は今も650程度あり、地域間抗争の諍いが絶えなかった約500年前の農民たちが身を守るため作ったそうです。タモリさんいわく「油断も隙もない危ないエリアだったわけですね…」
伊賀忍者のルーツは地域対立から生まれた武装農民。ヤバイじゃん! #ブラタモリ pic.twitter.com/uVJyjIbwVT
— にわとまと (@snowcat5201) 2020年2月29日
伊賀が争いの地になったのは土地の奪い合い?
伊賀は谷が多く入り組んだ地形をしています。谷の底の方は河川の氾濫による洪水が多発したため、住める場所は少し高くなった山裾しかありません。
限られた安全な山裾の土地を農民たちは常に奪い合って暮らしていたのでした。
農民はカマなどを使って武装し隣近所の情報を探る諜報活動などに長けてゆきました。それが忍者の原型となったそうです。
伊賀周辺はもともと湖…ぬかるみで住むところは限られていた…
滋賀県立琵琶湖博物館総括学芸員の里口保文さんが案内。
服部川に移動したタモリさん一行は、川に露出した泥岩の地層を発見。泥岩の内部には絶滅したイガタニシの化石が見られます。
実は服部川のある伊賀周辺は360万年前、もともと湖で、堆積した泥でできた泥岩の上にある湿地帯でした。また、この湖は北へ移動を繰り返しやがて琵琶湖が出来たのです。
『ブラタモリ・伊賀忍者編』伊賀はかつて湖に堆積した脆い泥岩によって複雑な地形となり、土地確保の争いから忍者誕生の契機となった。琵琶湖は断層の動きによって伊賀から徐々に現在の場所へと移動していった。カシミール3Dスーパー地形セット、シームレス地質図(黒い太線が断層)。#ブラタモリ pic.twitter.com/COPeWAdPKk
— DAN杉本 (@DANkashmir3d) 2020年2月29日
伊賀にあった湖が移動して琵琶湖が出来た?
なんと琵琶湖は360万年前伊賀エリアにありました。湖は年月を経て現在の琵琶湖の位置まで移動したと言われています。
湖には絶えず山からの土砂が注ぎ込みます。通常は土砂で埋まり湖は消失するはずですが、付近には何本もの断層が走っていたためこの断層がズレて新しい窪地が出来たのです。
水は断層が作った窪地に注ぎ込みますが、再び川から土砂が運ばれ埋まり、また別の断層が作った窪地に水が注ぎ込み、またまた土砂で湖が埋まる…。
これを繰り返したため湖が移動したように見えるのです。最終的には今の琵琶湖になりました。
武装農民は修験道の山伏たちから忍者の基礎を学んだ?
日朝山弥勒寺にやってきたタモリさん一行。お寺には修験道(しゅげんどう=山岳で厳しい修行をする山伏たち)の開祖、役行者(役行者・役小角=えんのおづぬ)の象が安置されています。役行者象は伊賀全域に現存することから修験道が非常に盛んな場所であったと、三重大学・山田先生は言います。
武装農民たちは、これら修験道から「情報収集」「地理」「薬草」「火の扱い」など忍者の基礎的なワザを学んでいったと言われているそうです。
天正伊賀の乱で忍者は一躍有名に?
天正伊賀の乱は天下統一を目指す織田信長の軍勢が伊賀を2度に渡り(1578~1579年&1581年)侵略した戦。
この争いで普段いがみ合っていた農民たち1600名が一致団結し、織田信長5万の軍勢を相手に戦ったそうです。戦は負けましたがその戦いぶりは特殊な忍者戦法から繰り出されたとても手強いものだったため、伊賀の里は忍者の里として全国的に噂がひろまったといいます。
伊賀中世城館調査会の顧問、福井健二さんによれば、地の利を活かした戦術で大健闘しました。
(「天正伊賀の乱」で忍びとの悪戦苦闘ぶりを書いた作品
和田竜「忍びの国」)
江戸時代…天下泰平が訪れ忍者は消えた…
タモリさん一行は伊賀上野城の城下町、忍町へ。
天正伊賀の乱で有名になった伊賀忍者は徳川家康から大阪の豊臣家の監視役として忍町に忍者を住まわせました。
しかし大阪夏の陣(1615年)で豊臣家は滅亡し天下泰平の世が訪れると、忍者はお役御免となってしまいます…。
消えゆく忍者は、「忍の秘書 萬川集海(ばんせんしゅうかい)(1676年)」という書物を作り後世に自身の技を残したといいます。その書には有名な「水蜘蛛」などの設計図が残っています。
この萬川集海に乗る様々な道具から想像を膨らませ、現在のスーパーマン的なキャラクターに仕上がったとのことでした。
次回の『ブラタモリ』は…甲賀・信楽へ
次回のブラタモリは、甲賀・信楽へ。朝ドラ『スカーレット』の舞台信楽を訪問。3月7日(土曜日)よる7時30分放送予定