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反響要約 NHK ブラタモリ #66 奄美大島 ▽島津家圧政で「黒糖地獄」となった奄美大島の歴史とは?【2017年3月4日(土曜日)放送内容】



ブラタモリ「奄美大島」

2017年3月4日(土曜日)放送のブラタモリは、奄美大島――。

島の特産物「サトウキビ」は島津家の強大な圧政(黒糖地獄によって誕生した!?

大島紬(おおしまつむぎ)が放つ独特の美しい黒。製造工程の秘密などを紹介!

ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年3月4日(土曜日)よる7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【番組副題】 #66 奄美大島
【出演】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【テーマ曲】 「女神」井上陽水
【ナレーション】 草彅剛

奄美大島龍郷町からロケスタート

 奄美大島は龍郷町(たつごうちょう)という地域からロケスタート!

鹿児島県奄美大島は南西諸島についで、沖縄本島に最も近い場所にあります。鹿児島から380Km、沖縄まで300Kmと沖縄本島のほうが近い位置関係です。

亜熱帯の森など、辺りの植物は南国っぽく、マングローブや美しいサンゴ礁も沢山。

そして今回のテーマは自然を活かした奄美の”宝”とは!?です。

案内をしてくれたのは、瀬戸内町立図書館・郷土館学芸員の町健次郎さんと、農研機構農業環境変動研究センター(土壌学・土の専門家)の前島勇治さんでした。

島全体の土壌は鉄分が多く、酸化して赤い土となっています。(赤土は鉄分多い土の証拠とのこと)

【奄美の宝】その1「大島紬(おおじまつむぎ)」

金井一人さんはテーチ木(自生している木材)を煎じて絹を染め「大島紬」を作っていました。

「大島紬」は日本を代表する最高級の絹織物。(高級品で価格は一反300万円もするものも…)

絹糸は渋い黒です。テーチ木で赤く染めた後、タンニン酸の多い泥の中で再び染めます。これを約一週間、何度も何度も繰り返すことで絹糸はやがて美しい黒い色となります――。

この製法を発見したのは江戸時代でした。鉄分とタンニン酸が化学反応を起こして黒い色に変化するのです。

 泥田は染め物に使っていると、だんだん黒く染まらなくなってくるため、ソテツの葉を泥田に浮かべ、鉄分を蘇らせるといいます。

ちなみに「ソテツ」は漢字で「蘇鉄」と書き、意味は「鉄が蘇る」です。

タモリさんが自ら泥田に入り、大島紬の染め体験、さらに大島紬も着用してみました。軽くてとても美しい大島紬にタモリさんも大いに感心しました。

平地がない…海のそばにも水田を…

ここからは龍郷町教育委員会事務局主事学芸員の川元美咲さんが案内しました。

「浦の橋立(うらのはしだて)」に到着した一行。

浦の橋立は、天の橋立に雰囲気が似ていることから名付けられました。

川を堰き止めて水田を作るための人口の堤防です。

島には平地がほとんどないので、海岸ギリギリまで田んぼを作りました。

川の河口に出来た三角州にも水田を作っています。堤防はその水田を海水から守るために建設されました。

しかし堤防は海の満ち引きで時々決壊したため、水圧を逃がす仕掛けとして岩山に穴を掘り、そこに溢れた海水を通す工夫が行われ水田を守ったといいます――。

【奄美の宝】その2「サトウキビ」

当時、島津家久の支配下では、年貢として米を取り立てられてました。

しかし、奄美大島だけは、土の質が米に向いていなかったため、代わりに「サトウキビ」を作らせ年貢としました――。

タモリさんもサトウキビを実食。皮をむき、シガンでなめると甘い汁がじわりと出ます。

サトウキビはたとえ土壌が悪くても、陽当りさえ良ければ甘いサトウキビを育てられたといいます。

薩摩藩は悪条件下でも出来るサトウキビに目をつけ、奄美の島民に作らせました。

現在でも黒糖作りは盛んで、サンゴ礁を焼いて砕いたもの(石灰)を使う昔ながらの製法で黒砂糖を作っています。

近江友里恵アナは「水飴、大好きなんです!」と言いながら出来たてホヤホヤの黒糖水飴をぺろりと舐めました。

くせがなくておいしい!と黒糖をポリポリつまむタモリさん。近江アナにも大好評でした――。

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波照間黒砂糖ブロック 300g×2袋

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島津家の圧政「黒糖地獄」とは?

島津家久は、米の代わりに年貢として黒糖を納めるよう強制しました…。

1747年からは奄美の年貢すべてを黒糖で納める事となり、江戸時代には島全員が黒糖関連の仕事に従事するようになっていたのです…。

その取り立ては非常に厳しく、島民が指についた黒糖を舐めただけでもムチで叩かれたと言います。

やがて奄美中の平地は全てさとうきび畑となりました…。

年貢を納めるため、島民は通常農作物を作れないような急な斜面にも懸命にさとうきびを植えています。

江戸時代に作られたサトウキビの段々畑は昭和20年(1945年)頃まで残っていました。終戦直後、米軍の撮影した写真にも記録されています…。

奄美戦時下 米軍航空写真集―よみがえるシマの記憶―

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黒糖地獄で毒がある蘇鉄を食べる

島津家久の圧政により島民は「黒糖地獄」と呼んでいました。

奄美大島物語 増補版

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サトウキビのために自分たちの食料を作る畑さえ与えられなかった島民は、強い潮風が吹き付ける事からサトウキビの段々畑が作れなかった山に、6万本の蘇鉄を植え、その実を食べることで飢えをしのぎました…。

ただし蘇鉄の実には猛毒があり、そのままでは食べることは出来ません――。

そこで蘇鉄の実や幹を細かく砕き、発酵させた後、水に晒し、天日干しをします。これを幾度も繰り返して毒抜きをしていたといいます…。

こうしてようやく作り上げたデンプンをお粥にして食べていたのです…。「黒糖地獄」の時代、島民はとても苦しい思いをしましたが、このデンプンは戦後の食糧難にはとても活躍し島民を飢えから救ったそうです……。

ブラタモリ反響ツイート

次回のブラタモリは「奄美の森」

次回のブラタモリは「奄美の森」。タモリ一行が奄美の珍しい生き物や植物を探訪。

25日(土曜日)夜7時30分放送予定。

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