爆報THEフライデー「川又三智彦」
2016年9月2日(金曜日)よる7時から放送された「爆報THEフライデー」は、ツカサのウィークリーマンションで有名になった、川又三智彦(当時42歳)の現在。
バブル絶頂期、総量規制によって破綻したツカサのウィークリーマンションを救ったのはリーマン・ブラザーズだった。しかしその10年後「リーマン・ショック」にりり破綻してツカサも巻き添えに。川又三智彦は自己破産、現在は福島県猪苗代町で極貧生活をしている。
爆報THEフライデー番組データ
【放送日時】 2016年9月2日(金曜日)夜7時(60分)
【放送局】 TBS
【番組副題】 爆報 大金に狂わされた転落人生 あの人は今?大追跡スペシャル
一世を風靡した「ツカサのウィークリーマンション」
当時有名になったCMを覚えているだろうか?
「東京…ワンワンワン♪ツカサーのウィークリーマンション♪」のメロディーが当時大人気を呼んだ、ツカサのウィークリーマンションのCM。
家具付きのマンションで東京に出てすぐに生活できるのが売りのサービスだった。
当時42歳の 川又三智彦(かわまたさちひこ・1947年栃木生まれ)は、アメリカにあったウィークリーマンションのシステムを真似て日本で初のウィークリーマンションの経営に大成功した。
バブル絶頂期の年商は80億円、総資産はなんと3,000億円だった。
自宅は24億円。彼の家族(お子さんは長男と次男の二人)は誰もが羨む超セレブ生活をしていた。
奥様は、航空会社のキャビンアテンダント。
7年前に自己破産 現在は極貧生活
爆報のスタッフがやってきたのは、福島県猪苗代町。
川又三智彦(69歳)は、わずか1年で借金1,000億円。福島県の田舎で極貧生活を送っていた…。自宅(知人から借りた築50年の平屋)の庭で農作業をしていた。
7年前に借金が払えず「自己破産」している。
収入は毎月13万円の年金のみ。妻は子供をつれて去っていた。
銀行の裏切り地獄とは?
その裏に有ったのは?裏切りに次ぐ裏切り!
当時はバブル。数社の頭取クラスの銀行マンが「新しいウィークリーマンションを建設して下さい」と巨額の融資を提案してきた。
「ウチが付いたからには安心して下さい」と大銀行の重役が太鼓判を押した。言われるがまま、川又三智彦社長は新しいウィークリーマンションを建設。
大々的にCM展開もした。
バブル当時は、確かに5億円で建設した新マンションは、10億円に跳ね上がった。
さらに、その10億円のマンションを担保に、新しいマンションを建設した。
こうして借金が膨らんでゆく。こうして気づいた時には約50の銀行から、1,400億円の融資を受けていたという。
47棟のウィークリーマンションを建設し社員は180人、年商は80億円となった。
1990年3月「総量規制」が始まる
1990年3月ある大銀行が川又三智彦を呼び出した。
それは国が定めた「総量規制」のためだった…。
総量規制とは、不動産価格の高騰を落ち着かせるため金融機関に対し不動産向けの融資を制限するもの。
銀行は総量規制を受け、不動産価格が下落することを察知しこれまで融資していたお金を回収するようになった。
川又は、今後銀行から1円の融資も受けられず、50社の銀行から一斉に借金の全額返済を求められたのだ。
これがバブル崩壊の始まりだった。
しかし売れない不動産
総量規制が始まり、銀行から借金の返済を求められた川又三智彦。
しかし不動産の多くは建設途中だった。その数17棟!
バブル崩壊のスピードはとどまることを知らず、3,000億円だったビルが一気に300億円まで下がってしまった。
会社は、事実上1,000億円の借金を背負うことに…。
社内は火の車、大量の督促状。
一時は自殺しようという気持ちを抑え、アメリカの投資会社「リーマン・ブラザーズ」に出向く。ツカサを高く評価していた銀行は経営権と引き換えに債権の一部を肩代わりしてくれた。
最悪の事態を乗り切ったツカサ。新しい事業「レンタルオフィス」を始める。
レンタルオフィスは、わずか2畳ほどのスペースに個人が仕事をするために最低限の備品を完備する賃貸。
1990年代にアメリカで流行していた「SOHO(Small Office Home Office)」をモデルに始めたもの。
これは再び大好評だった。しかし10年後再び裏切られる。
リーマン・ブラザーズの経営破綻
2008年9月、リーマン・ショックが起こる。
ツカサを救ったリーマン・ブラザーズが経営破綻を起こしツカサも巻き込んだ。
「これでウチも終わり……。」
残ったのは莫大な借金790億円2009年3月4日会社は倒産した。
自己破産した。
元キャビンアテンダントの妻と離婚、子どもたちもバラバラになった。
そんな川又三智彦には野望も!
2年前から福島県猪苗代町に移住。収入は年金のみで生活している。
地元の人々に助けられ、生活中。
そんな川又三智彦には、今密かに野望もあるという。
廃業した民宿を再利用し、建物を改築してデイサービスにする計画。
おばあさんが一人で暮らしている家を改装して、この家を起点に町全体を介護施設みたいな場所にしていきたいと語る。
最初は怪しいと思った民宿のオーナーも、まだ途中だから信じていないと笑うが、希望は持っているようだ。
さらに、「ドローン操縦者」を養成する学校も始め若者も呼び寄せたいと語る。
川又三智彦69歳新たな野望に燃えギラギラ生きていた。
バカ息子って言うよりもかなりのアイデアマンだよ!と爆笑太田。