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【反響要約】ブラタモリ「知って納得!藍が支えた阿波踊りのルーツとは?」【2019年3月9日(土曜日)放送 NHK総合テレビ】



ブラタモリ「#128 阿波踊り」

2019年3月9日(土曜日)放送の『ブラタモリ』は、徳島へ。

”阿波踊りの謎”を解明します。なんと言っても徳島市の人口の5倍=150万人が集結する「阿波踊り」の本場です。「踊る阿呆に見る阿呆~」阿波踊りがどのようにして今の形になったのか、タモリさん&林田アナが解き明かします。

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『ブラタモリ』#128番組データ

【放送日時】 2019年3月9日(土曜日)19:30~20:15
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ「#128 阿波踊り」
【ロケ地】 徳島県
【出演者】 タモリ 林田理沙(NHKアナウンサー)
【語り】 草彅剛

『ブラタモリ』今回で47都道府県制覇!

今回の徳島県でブラタモリは、47都道府県を全て制覇しました。

徳島県は何かの仕事で3度くらい来ているけれど何の用事で来たかは覚えていないとタモリさん。一方、林田アナは今回が初めての徳島県訪問。

タモリさん&林田アナが立っているのは街の中心部「両国橋」のたもとです。

本日のお題「阿波踊りはなぜ生まれた?」

今回の番組テーマは「阿波踊りは何故生まれた?」。

案内人は徳島の歴史の研究者、根津寿夫さん。根津さんは徳島市立徳島城博物館の館長さんです。

阿波踊りの誕生は400年前=江戸時代だった?

阿波踊りの原型はおよそ400年前の江戸時代。町民が亡くなった人の霊を鎮める「盆踊り」として始まりました。

両国橋を離れ阿波踊り会館にやってきたタモリさん一行。

ここでは毎日阿波踊りの実演ショーが開かれています。実演を見たタモリさんは阿波踊りのいくつかの特徴に気がつきました。

  • 他の盆踊りのように「輪になって踊らない」
  • 路上を直進し行列する
  • 衣装が派手、動きがダイナミックなど「見せる」ことを重視している

街の構造が阿波踊りに影響をもたらした?

タモリさん&林田アナ一行は、新町橋から船に乗りこみました。

タモリさんの頭スレスレを通り抜ける低い橋を何度か抜けていると橋の上に交差点のある珍しい場所に。

ここは3つの川が合流する地点でさらに進んでいるとまた川が分岐しています。

タモリさんも方向感覚が分からなくなり「川が多い!徳島ってこんなに川あったっけ?」と疑問に思って居るとスタート地点にあった眉山(びざん)がまた見えています。

つまりタモリさんは船で島の回りをぐるりと一週してスタート地点に戻っていたのでした…。

徳島は数多くの島の連合体で成り立っていて、その間を川が網の目のように走っているのです。

タモリさんの船はその網の目の一つを通っていたのでした。

なぜ徳島に島の連合体が出来たのか?

ではなぜ徳島にこれほど島が多く出来たのでしょうか。

その原因は日本三大暴れ川のひとつ「吉野川(他の暴れ川は”利根川”と”筑後川”です)」にありました。

吉野川は大洪水の度に大量の砂を運ぶため河口にいくつもの砂の高まりができました。

高まりはいくつもの島になり、連合体となりました。

これらの島に縁起の良い「徳」の字をつけて地名にしたのが「徳島」です。

これらの島には徳島城を中心とした城下町が作られたのです。

徳島の街は余裕の全く無いギチギチの状態だった?

徳島の城下町は限られた敷地のほとんどが武家の広い土地となっていて、町人のスペースは全体の12%程度しかありませんでした。

島はまさにギチギチの状態。

広場もないこの場所で盆踊りをするには路上で1列になり、動きながら踊るしかなかったのです。

「ストリート系の盆踊りって訳ですね」と笑うタモリさんでした。

阿波踊りが派手なパフォーマンスを見せるのはなぜ?

日本大学芸術学部の小林直弥先生が登場。小林先生は踊りの歴史を研究しています。

当時は川を隔てた二つの町は阿波踊りを競い合っていたそうです。祭りの時は新町橋を渡ってお互いの町を行き来することは徳島藩が風紀を理由に認めなかったため、周りからもよく見える橋の上で踊りを競い合ったと言います。

そのせいで次第に阿波踊りは派手なパフォーマンスを見せるようになったそうです。

阿波踊りを支えたのは「藍」だった!?

徳島が阿波踊りの運営を支えることが出来たのは当時莫大な富を得られた染料の藍を作る「藍商人」でした。

当時藍の価値はお米の2倍!着物、肌着、ふとん、ふろしきなど抗菌作用もある藍はとても重宝されていたそうです。

特に徳島の藍は「阿波藍」と呼ばれ洪水がもたらす良質な養分の土で作られた藍製品は他の場所にない高品質の藍だったのです。(※藍は1度作ると土の養分を使い果たすため連絡には向かないのですが、毎年のように吉野川が洪水を起こしたため土の養分は田も縦霊ました)

明治25年の長者番付1,500人中徳島のお金持ち(豪商)は123人もランクイン。阿波踊りを財政的にささえる事ができました。

また、徳島いちの歓楽街「富田町」では阿波踊りの音楽もアレンジされ生まれていました。

その後明治にに入り藍産業は衰退。観光の目玉として阿波踊りをアピールし現在の形となりました。ちなみに昭和(1983年)に入り阿波踊りのシャープな踊りをさらに洗練させたのは、四宮賀代さんという女性だそうです。

 

(※2019年3月9日(土曜日)『ブラタモリ「#128 阿波踊り」』より)

 

『ブラタモリ』放送終了後の反響ツイートは?

前回の『ブラタモリ』は…パリの美

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次回の『ブラタモリ』は…鳴門

次回のブラタモリは#129「鳴門」。16日(土曜日)夜7時30分より。

yonta64.hatenablog.com

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