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【反響要約】ブラタモリ #112 宇都宮☆餃子消費日本一の宇都宮。江戸時代には幕府の前線基地として繁栄…明治から昭和にかけては大谷石の一大産地として東京に欠かせない町に大発展!?【2018年9月22日(土曜日)放送ルート NHK総合】



ブラタモリ「#112 宇都宮」ルートまとめ

 2018年9月22日(土曜日)に放送された『ブラタモリ』は、宇都宮編(栃木県)。

 今でこそギョーザ消費量日本一の宇都宮ですが、かつては江戸幕府の「日光社参」にとって欠かせない町でした。さらに明治から昭和にかけては「大谷石」が東京の都市開発に寄与、宇都宮は長い間東京にとって欠かせない町だったのです。タモリさん&林田アナがブラブラ歩いて解き明かします――。 

ブラタモリ「#112 宇都宮」番組データ

【放送日時】 2018年9月22日(土曜日)19:30~20:15
【放送局】 NHK総合テレビ
【番組タイトル】 ブラタモリ「#112 宇都宮」
【ロケ地】 栃木県宇都宮市
【出演】 タモリ 林田理沙
【語り】 草なぎ剛

JR宇都宮駅前よりロケスタート!

 JR宇都宮駅前に登場したタモリさんと林田理沙アナ。

 林田アナはよく通過する駅ですが降りた事はないとのこと。一方タモリさんは餃子くらいしかイメージがないので今回どこを回るのか見当がつかないといいます。

今回のテーマ「宇都宮は”江戸”に欠かせない町?」

 今回のテーマは「宇都宮は”江戸”に欠かせない町?」です。

 案内を担当するのは栃木県立博物館学芸員の江田郁夫さん。江田さんは宇都宮の歴史を研究して35年。

 宇都宮と江戸との間は約100kmの道のり――。今は新幹線で50分の距離ですが、江戸時代には歩いて3日かかる距離でした。けっして近くはありませんが多少遠くとも江戸幕府にとって宇都宮は欠かせない町だったのです。

宇都宮丘陵の先端「二荒山神社」へ

 タモリさん一行は、さっそく駅の近くにある「宇都宮二荒山神社」へ移動。

 この「(宇都宮)二荒山神社」はもとは「宇都宮神社」という名前で、この神社の名前が宇都宮の地名の由来とのこと。(※諸説あるそうです)

 二荒山神社は、宇都宮丘陵のちょうど先端にあり、この丘陵を昇って神社の境内が広がる場所に到達します。

 丘陵の先端にある二荒山神社からは江戸時代関東平野が一望できたといいます。二荒山神社の境内につながる階段を降りたところから関東平野が始まっているんだね…とタモリさん。

 また宇都宮はちょうど仙台へ向かうルートと会津や米沢などに向かう街道の分岐点となっていて、江戸幕府が東北を抑える拠点として重要な「北への玄関口」となっていました。

日光社参の拠点「宇都宮城跡」へ

 江戸時代200年以上にわたって町の中心だった「宇都宮城」城跡にやってきたタモリさん一行。

 現在は当時の本丸の西側半分を復元した公園になっています。東北への前線基地であった宇都宮城は何重にもお濠で囲われ土塁も高く積んだ超厳重なお城でした。

 しかしこのお城「なんだか変なんです…」と案内の江田さん。

 それは「城主の家が本丸ではなく本丸外の狭い二の丸にある」ことでした。「一番厳重な本丸に住まないでなんで二の丸に住むんだ?」とタモリさんもびっくり。

 また、日光街道が通る城下町は地形的にお城より高い場所にあるため、町人がお城を見下ろすという「城下町」ならぬ「城上町=お城の上にある町=じょうじょうまち(タモリさん命名)」になっています。

なぜ「城上町」が開発され「城主は本丸に住まなかった」のか?

 幕府は徳川家のお墓がある日光東照宮までは日光街道を利用していました。宇都宮は最後の宿場町だったのです。

 徳川家のお墓参りは「日光社参(にっこうしゃさん)」と呼ばれなんと13万人の付き人が、32万頭の馬を従えて移動しました。

 その付き人13万人を支えるため宇都宮城の城下町(城上町)は城より高い土地のため城下町には適しませんでしたが、日光社参の目的のため大規模に開発されたのでした。

 また、宇都宮城の城主が二の丸に住んでいたのは、日光社参の時には宇都宮城の本丸に徳川将軍が泊まる部屋があったという理由からでした。

 宇都宮は「日光社参」のため江戸幕府にとって欠かせない町だったのです。

第2テーマ「宇都宮は”東京”にとって欠かせない町?」

 最初のテーマ「宇都宮は”江戸”にとって欠かせない町?」に続いて第2のテーマが登場!そのテーマとは…「宇都宮は”東京”にとって欠かせない町?」でした。

 東武宇都宮駅の近く「カトリック松が峰教会(昭和7年建築・有形文化財)」へ移動。付近の建物や塀はほとんど全部が大谷石(おおやいし)で出来ていました。

 ここでは、宇都宮市の佐藤大地さんが案内。佐藤さんは大谷の土地の成り立ちを研究しています。

東京に欠かせない石材「大谷石」とは?

 大谷石は宇都宮の北西部大谷地区で明治30年頃から採石されている天然の石材です。

 耐火性に優れていたため、東京の旧帝国ホテル(設計:フランク・ロイド・ライト)、築地本願寺の堀、旧国立競技場の土台などに使われています。

 カトリック松が峰教会(案内:山口一彦司祭)はロマネスク様式で、内部にはパイプオルガンが設置されていて、内装にも敷き詰められた大谷石はその防音効果によってちょうど良い残響音を出すといいます。

 (残響音の特質を活かし東京のコンサートホールの内装にも大谷石が使われています)

大谷石の巨大採石所「大谷」へ移動

 市街地を北西へ8km離れた山深い場所に移動したタモリさん一行。

 採石場の案内人は、大谷観測所(地質調査)の藤原盛光さん。

 巨大な山を露天掘り(ろてんぼり)で採掘し、今ではすっかり採掘されて山の山頂はくりぬかれてなくなっています。床も壁も一面大谷石の原石、ノミの跡がまっすぐに線を描き、広大な石のステージのようになっていました。

大谷石の”ミソ”とは?

 大谷石(軽石凝灰岩)の内部には無数の穴が空いています。地中にある時はこの無数の穴に粘土が詰まっています。この粘土を「ミソ」と呼びます。

 大谷石が採石されると粘土(ミソ)は次第に乾燥して小さくなり穴からポロリと出てゆきます。

 ミソが出た跡は穴となり、この穴が無数にあるのが大谷石の特徴にもなっています。

 しかしあまりミソが大きくて多い場所は石材として商品にならないためミソが多い場所を避けて掘っていました。

 また、穴が多い軽石の性質を持つ大谷石は欠点でもありましたが、他の石よりも軽く運ぶ事ができたため、宇都宮から東京まで運ぶことが可能だったのでした。

 最盛期の昭和40年代には出荷量はおよそ90万トンにもなり、宇都宮は大谷石によって経済的に潤いました。

 (大谷に来ると、石で儲けた職人たちが購入した色んな高級車を見る事が出来たそうです)

地下にも大谷石の巨大採掘場が?

 露天掘りだけでは東京からの需要に耐えられないため、地下にも採石場を250以上も作りました。

 内部はまるで洞窟の様になっています。採石が終了してから35年間使われていないため現在は地下水が溜まっています。

 タモリさん一行は、ボートを浮かべ採掘場の内部を探索、神秘的な地下空間はまるで映画の撮影セットのようです。

 ミソの少ない場所を掘るため奥に行くに従い斜めに傾いている様子がよく分かりました。

 現在大谷石の採石場は250カ所から7カ所に減りました。使われなくなった地下空間はいちごのハウス栽培の温度管理に使うなど工夫して再利用されているといいます。

 

(※2018年9月22日(土曜日)放送『ブラタモリ「#112 宇都宮」』より)

 

次回の『ブラタモリ』は山形県酒田市――

 次回の『ブラタモリ』は、9月29日(土曜日)放送。山形県酒田市です。山形県酒田市が「日本の中心地」とはどういうこと?

前回の『ブラタモリ』は鳥取砂丘――

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『ブラタモリ』放送終了後の反響ツイートは?

「大谷石の採掘場」関連動画紹介

(※Yonta64注釈)ブラタモリとは全く関係ありませんが、AKB48・本田仁美さんが大谷石の採掘場を紹介する動画を発見しましたのでご紹介します。

youtu.be

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