2014/05/23(金曜日)放送の『爆報!THEフライデー2時間スペシャル』は、あのイケメン&美女の今を大追跡。佳那晃子・岡田眞澄・岡田眞善・シェリー・岸朝子「ウオイチマメイチヤサイガゴ」・ひかる一平・マッハ文朱それぞれの壮絶人生
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スタジオ出演者
ナレーター、佐藤賢治、中井和哉。スペシャルゲストMCは、田原俊彦。メイン司会者は、爆笑問題(田中裕二・太田光)
ひな壇ゲストは、友近、アンガールズ(山根良顕・田中卓志)、平成ノブシコブシ(吉村崇・徳井健太)、テリー伊藤、オリエンタルラジオ(中田敦彦・藤森慎吾)。
TBSアナウンサー、田中みな実。
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ゲスト 大信田礼子
ゲストは、4作公開された人気シリーズ「ずべ公番長 夢は夜ひらく」(1970年公開・宮下教雄&山口和彦・山口和彦・東映)にも出演、女優の大信田礼子(おおしだれいこ)。
大信田礼子は、梅宮辰夫との婚約や江夏投手との婚約(1969年2月17日付:女性自身記事より)など報道で世間を騒がせたが、ピンクレディーや山口百恵などを手がけた人気作曲家都倉俊一と結婚したが4年で離婚。現在はバツイチ独身65歳。
江夏豊投手とは、お付き合いを当時していなかったと語った。
フクロウが好きな大信田礼子は、「フクロウのみせ(ショップブログ)」で頭にフクロウが乗ってくれたと喜びお店に通う毎日を送っている。
https://twitter.com/pulmo_shop/status/469783430440312833
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脳死宣告「ネフローゼ症候群」 佳那晃子(かなあきこ・58)
「極道の妻たち(1986年・五社英雄・高田宏治・東映)」。「魔界転生(1981年・東映・深作欣二)」などにも出演していた、佳那晃子(当時30歳)。1974年17歳で芸能界デビュー。
2013年1月14日脳死宣告報道「ネフローゼ症候群」
「ネフローゼ症候群」とは、未だに原因のわからない腎臓の難病。尿に蛋白が流れでて血液中の蛋白が減少、その結果顔や手足がむくんでしまう。
2014年現在は、「熱川温泉病院」(住所:静岡県賀茂郡東伊豆町白田424・担当医:田所康之医師)のベッドに寝たきりの生活をしている。重度の意識障害があり、周りの状況を判断することは出来ない。また体が硬直し、食事も直接胃に流動食を流し込んでいる。
2005年4月佳那晃子に「顔や手足がむくむ(ネフローゼ症候群)」という病変に襲われる。肺に水がたまる「肺水腫」も併発しその後4年半の入院生活(54歳)。2009年舞台に復帰した。しかし2013年1月10日夜10時頃、夫婦二人でテレビを見ていた時倒れた。その時すでに重篤なレベルの「グレード5」と診断された。回復の見込みは限りなくゼロに近い脳死。
しかし脳に刺激を与えることで意識レベルが上がってくる事がある。体を擦ったり、起き上がらせたりするリハビリをしている。何年かかるかわからないが目標は歩いて家に帰ることだと言った。
誰しも陥る危険のある「クモ膜下出血5つの兆候」
クモ膜下出血5つの兆候とは?
- 苦しそうに顔を歪める
- 声をかけても反応がない
- 自分で体を動かせない
- 首の後が硬直する(熱くて凝るような感覚がする)
- 突然いびきをかきはじめる
「クモ膜下出血」とは脳を覆う膜の一部が損傷し出血が起こる病。その発症率は女性のほうが高く男性の約1.5倍、さらにその5割は死に至ると言われている。
夫はカックラキン放送作家「源高志」
夫は、かつて年収3億円といわれた「源高志(66)」。結婚は1990年。源高志は、「カックラキン大放送」「スター誕生」を手がけた売れっ子放送作家。一時は会社経営まで手がけたがバブル崩壊で倒産、4億円の借金が残った。40歳当時のインタビューで佳那晃子は「学生さんよりも低い金額で生活しているんじゃないかな」とコメントした。離婚は考えていない。必死に働き10年で借金を完済した。
しかし今は、熱海で見る影もなく家賃5万円の古いアパートでの極貧生活をしている。家賃滞納の督促状、食事はパンのみと言った生活。
夫の収入は、週1回の大学講師の仕事、昔のつてで雑誌の記事を書いている。入ってきた給料は全部入院費に当てている。
偽装家族ファンファン大佐「岡田眞澄」
1983年のベスト・ファーザー賞を受賞するなどファンファン大佐の相性で親しまれた「岡田眞澄」は2006年5月29日食道がんにより死去。長男「岡田眞善(40)」が仲良しセレブ家族だったはずの裏側を激白した。
葬儀の場で公然と批判した長男「僕たちは嘘で塗り固められた偽装家族だった」
岡田家の本当の姿は、極貧生活だった。息子長男が語る。「死ねば許されるのか?」葬儀の場で公然と「軽蔑していた」と批判した長男。
東京浜松町 文化放送にやってきた。現在長男の「岡田眞善(おかだしんぜん)」はラジオパーソナリティや舞台俳優をしている。
マスコミの前ではセレブ家族を演じた
長男岡田眞善が激白。映画で儲けたお金で買った都内の一等地の豪邸に住んでいたが、映画が下火になると収入が激減。それでも海外ドラマののような生活をマスコミには披露していた。
しかし、実際の家計は火の車。日々の味噌汁はご飯と味噌汁だけ。衣装はすべてレンタルだった。工作用糊も買ってもらえない。運転手付きの高級車もレンタル。
1988年、「とんねるずの仮面ノリダー・ファンファン大佐」で再ブレイク。再び様々な仕事を受けられるようになった。そのお金でさらに高級な衣装や宝石を購入。家にはまったく入ってきたお金を回していなかった。
当時家計を支えていたのが、岡田眞善。Esso、東京女子医科大学の深夜ヘルパーなど月に20万円ほどを稼いで家に入れていた。
1994年、岡田眞澄は離婚。1995年には日本航空で客室乗務員をしていた26歳下の女性と再婚した。1998年には長女が誕生している。
岡田眞澄は、自身のイメージを守るため息子が結婚を祝福しているとテレビのインタビューで嘘をついた。しかし末期がんを抱えながらも病院でひと目につくところではさっそうと歩きイメージを崩そうとはしなかった。息を引き取る間際でもグッドラックとサムアップしていた岡田眞澄をみて息子は尊敬するようになった。
僕が監督した「深海獣レイゴー」に出演してもらった岡田真善くんが爆報に出演している、内容は父親岡田真澄氏との確執…。当時の岡田くんは明るい好青年スタッフとも楽しそうに会話していた、冬の冷めたい横須賀の海に頭まで浸かって頑張ってくれた姿を今でも覚えている。この夏レイゴーは海を渡る。
— 林家しん平 (@hayashiyashinpe) 2014年5月23日
元祖ハーフ美女「シェリー(57歳)が真実を語る」
26歳(1983年)の時にテニスコーチとの幸せな結婚をした元祖ハーフタレント「シェリー」。しかしシェリーが当時妊娠した子どもの父親が、結婚相手の子ではない疑惑が浮上、それが原因で3年後の29歳で離婚した。
あれから28年、シェリーさんの口から本当の事が語られた。
実は当時妊娠した子どもの父親は、神戸に住んで居た妻子持ちの男性だった。つまり不倫していたのだ。
シェリーの離婚後は、不倫相手の元に行ったのだが、その男性は本妻と離婚すること無くシェリーが二人目を身ごもる。結局その生活は破綻し、34歳のシングルマザーとして子ども二人を抱え生活。
そんな中、母、かつ子さんが脳梗塞で倒れる。後遺症は重く意識のない植物状態。幼い子どもは育てなくてはいけない所にさらに母親は倒れてしまい、とんでもない状態に置かれてしまった。
2012年 父親・母親と同じ脳梗塞に倒れる
父は18歳の時に脳出血で他界。子どもの生活費+母の入院費の過酷な生活を11年間も強いられた。シェリー45歳の時母は他界。その後は二人の子どもを育て上げたが、運転中に母親と同じ脳梗塞で倒れ右半身に麻痺が残る。
シェリーは現在、大阪ミナミの90分7,000円のスナックで働いていたがこの脳梗塞でお店をやめていた。2年のリハビリの末現在では普通に生活が出来るまでに回復している。
23歳の長男、力さん(リキさん)が現在のシェリーさんを支えている。これからは近くに住んで、親孝行してゆきたいという。
今は娘と息子がすごく良い子に育ってくれたなと思っている。昨年シェリーは介護ヘルパーの資格を取り、「兵庫県尼崎居宅介護施設 プチトマトちゃん」(住所:兵庫県尼崎市大庄中通5丁目14−17)にて介護の仕事をしている。
脳梗塞から奇跡の復活
脳梗塞を克服したシェリーは、2014年10月に、30年ぶりに歌声を披露した。ステージには旧友、長谷川直美が登場し再会を果たした。ジョークも飛び出して完全復活の兆し。
料理の鉄人レギュラー審査員 岸朝子は今…「ウオイチマメイチヤサイガゴ」
超一流の料理記者だった岸朝子は今、謎の食事法「ウオイチマメイチヤサイガゴ」で病気知らずの健康体だった!
フジテレビ「料理の鉄人」でレギュラー審査員だった岸朝子(当時70歳)「おいしゅうございます」は当時大ブレークした彼女のキャッチフレーズだった。
番組が終了して15年、90歳となった岸朝子は今…番組がやってきたのは東京文京区本郷。「珈琲自家焙煎 珈琲庵(食べログ)」(住所:東京都文京区本郷4-25-11)で待ち合わせ。
一度も病気をしたこともなく元気な姿を披露。その健康法は「ウオイチマメイチヤサイガゴ」岸朝子が週に3回は通うという大衆居酒屋「喰飲楽屋 一馬(食べログ)」(住所:東京都文京区本駒込2-9-3)
世界の料理を何万食と食べあるき最後に岸朝子がたどり着いたお店がここ。
【番組紹介メニュー:岸朝子が現在食べているメニュ】
- ホッケ(魚1)
- 豆腐サラダ(豆1←豆腐・野菜1←朝昼であと3摂る)
- コロッケ(野菜1)
- おにぎり
何気なく注文している以上の様なメニューだが、実はそこには60年間に渡り実践してきた岸朝子流の食事法があった。
「ウオイチマメイチヤサイガゴ」…実は「魚1」「豆1」「野菜5」と言う意味。これは一日に食事から摂る品目の割合となっている。これに「牛乳」と「卵」を加えれば1日に必要な栄養素が全て摂れる!
食べ終わると「おいしゅうございます」で締めくくった。
現在50歳 ひかる一平
田原俊彦(たのきんトリオ)の弟分として「青空オンリーユー(1981年作詞:松本隆・作曲:加瀬邦彦)」でデビューした、”ひかる一平”。当時は17歳だった。
1980年には「3年B組金八先生」第2シリーズに出演した。腐ったミカン「加藤優」に惚れる謎の美少年役(椎野一<しいのはじめ役>)を好演した。
1981年当時、ブロマイド写真の売り上げが3位にまでなる(当時田原俊彦は1位)など人気もうなぎのぼりだった。
しかしその後は表舞台から姿を消す……。
3年B組金八先生の舞台、荒川の河川敷にやってきた。現在50歳ひかる一平の姿を大公開。美少年の面影は健在。
ひかる一平の現在の仕事(職業)は?
ひかる一平の現在の仕事は、「子役の養成所の経営&お芝居教室・(株)スカイアイ・プロデュース(住所:東京都品川区西大井1-1-2)」をしているという。
その指導法は、「とにかく褒めるほめホメ指導法」設立から1年が経ち、現在では生徒数も30人近くまで増えた。(月謝は1万5千円)
2008年8歳年下一般女性と結婚
ひかる一平は、6年前の2008年に8歳年下の一般女性と結婚をした。息子の美士輝くん(よしきくん・5歳)が生まれている。恥もプライドも持たずに頑張るという。
先輩の田原俊彦は、「すごく活き活きしているし自分の居場所をちょっと遅かったけど見つけたな」と感想を述べた。
元祖アイドルレスラー マッハ文朱(55) 国際結婚
元祖アイドルレスラーの「マッハ文朱」は1974年15歳で女子プロレスラーとしてデビュー。女子プロレスラーとして初めてタレントに転身、「巨泉のクイズダービー」など多数のテレビ番組に出演していた。
1993年にパイロットだった台湾系アメリカ人「ロバートチャンさん(当時36)」と結婚アメリカに移住して表舞台から姿を消した。
待ち合わせ場所は、プロレスの聖地「後楽園ホール」(住所:東京都文京区後楽1丁目3−61)リポーターは、杉村太蔵。
アメリカに移住してから21年、現在55歳のマッハ文朱が杉村太蔵に技をかけた。
「カルチャーワークス(公式サイト)」(住所:東京都渋谷区神南1丁目12-10)にてダンスを踊る55歳のマッハ文朱だった。毎日1時間以上ダンス「ズンバ」は続いている。
「ズンバ」とはラテン系の音楽とダンスを融合させたダンスエクササイズの事。インストラクターのSHUNさんが教えている。
マッハ文朱がスタジオにも登場した。トシちゃんのデビュー前「パンポロリン」という番組でマッハ文朱と一緒に出演していた。
友近が13歳の時に出場した「全国ジュニア歌謡選抜」の司会をしていたのがマッハ文朱だったという過去があった。
次週の『爆報!THEフライデー』は…
次週は、芸能人の田舎暮らしスペシャル。第8弾。本格的な自給自足を送る美女・強面俳優「河原さぶ」ほかが登場。