ブラタモリ「#78 弘前」
2017年7月8日(土曜日)放送の「ブラタモリ」は、青森県弘前市へ。タモリ一行は「サムライが作った弘前の宝」をテーマに、「弘前城」「長勝寺・禅林街」「りんご農園」「剪定バサミ」と侍たちの意外な関係を探索した。
ブラタモリ番組データ
【放送日時】 2017年7月8日(土曜日)よる7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【ロケ地】 弘前市(青森県)
【出演】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【語り】 草彅剛
【テーマ曲】 井上陽水
弘前城からロケスタート
青森県の弘前市、弘前城からロケスタート。
タモリと近江友里恵が橋の上を歩く。弘前は約50年前に学生時代に来たことがあるが、弘前城にはまだ来たことがないという。
近江友里恵は、弘前はリンゴのイメージなので赤い服を来てきたという。
#ブラタモリ 弘前。近江友里恵アナは青森弘前といえばリンゴということで赤い衣装で登場。番組担当当初は緊張もあってか大人し過ぎな印象もあったがアシスタント歴も1年を過ぎて番組にも馴染み、近江アナらしい妹キャラ的というかタモリさんの孫的な立ち位置を確立したように思う。 pic.twitter.com/XkAXlwsaF0
— にわとまと (@snowcat5201) 2017年7月8日
見晴らしの良い高台にまでお城を登ってくると、岩木山(標高1625m・通称:津軽富士)の美しい姿が見えた。
お題「サムライが作った弘前の宝とは!?」
リンゴの形をしたタモ手箱が登場。
中にはお題が……「サムライが作った弘前の宝とは!?」
ここで案内人の弘前博物館学芸員、棟方隆仁さんが登場、弘前藩の歴史が学べる出前講座などが人気だと言う。
棟方さんのFacebookより――
天守が小さい?弘前城
――サムライが作った弘前の宝その1「弘前城」
タモリが櫓(やぐら)だと思って近寄っていたのは実は弘前城の天守だった……。
そのあまりの小ささにタモリも「はぁ!?地味ですねぇ」と驚く。
弘前城は国の重要文化財。慶長16年(1611年)築城、江戸時代の天守が現存する数少ない城として価値が高いと言う。
(画像:弘前城 - Wikipedia)
お金が無かったため、弘前城の豪華な表に対して裏側は簡易的に作られ経費削減が行われている。とてもユニークなお城だとタモリも感心した。
東北の諸藩は慢性的に財政不足だったため、このような小さなお城が当時建てられていたという。
案内人の棟方さんは、津軽弁に……”えふりこぎ””もつけ””じょっぱり”という言葉があり、えふりこぎ=いいかっこしい、もつけ=お調子者、じょっぱり=頑固という意味があり、この言葉がそのまま津軽人の気質を表していると話した。
小さな天守でも立派に”石落とし”や”破風(はふ)”を備えた城の様式を取り入れている様子は津軽弁の「えふりこぎ=いいかっこしい」の部分が出ているのかもしれないと棟方さん。
弘前城の天守は移動していた!?
弘前城の天守、実は現在の場所は仮置きの場所で本当の場所には無い。
2015年、石垣の改修工事のため元あった場所から「曳屋(ひきや)」という方法で移動している。
「曳屋」とは、建物を解体せずにそのまま浮かせて別の場所に移動させる日本伝統の手法。
400トンの天守を70日かけて移動させた。
弘前城本丸石垣整備を担当する、神雅昭さん(弘前市公園緑地課)が今しか見られないお城の石垣修理工事(2023年完成予定)を見学させてもらった。
3000個もある石垣の一つの岩は、専用のソリで運ぶタモリと近江アナを含め7人でやっと動く重さ。
長勝寺(ちょうしょうじ)の杉並木
――サムライが作った弘前の宝その2「禅林街」
タモリ一行は、享禄元年(1528年)創建、津軽家の菩提寺「長勝寺」へ移動。
長勝寺の三門や本堂は重要文化財となっている。
三門からのびる真っ直ぐな杉並木の通りは両側に杉がずらりと並びとても壮観。
タモリ憧れの吉永小百合もJR東日本のCMでこの杉並木に来ていたという。
その撮影で吉永小百合が宿泊した宿が今回タモリの泊まった宿と同じ部屋で「(吉永小百合さんが泊まったと聞いて)昨日ずっとふとん舐めてましたよ」と笑うタモリだった。
長勝寺の杉並木には、33ものお寺が立ち並んでいる。
宗派は全てが「禅宗」。禅宗のお寺が林のように並ぶ街ということで、このエリアを「禅林街(ぜんりんがい)」と呼ぶ。
杉並木の先はクランクとなっており、枡形(ますがた)の道になっている。
枡形は敵の侵入を防ぐため、わざと直角に道を曲げた町割りにしたもの。(他の城下町にも多い仕掛け)
実は禅林街は慶長15年(1610年)、軍事的に重要な第2のお城としてお寺を集め作られていた。
禅林街もサムライが作ったものだという。現在では観光の宝として重要なエリアになっている。
城下町へ「刀鍛冶の剪定バサミ」
――サムライが作った弘前の宝その3「今も残る町名」
続いてタモリ一行はお城の東に広がる城下町へ。
このエリアは「百石町(ひゃっこくまち)」と言い、勘定奉行(今で言うと中間管理職クラス)など100石の給料をもらうサムライが住んでいた場所。
サムライが作った町名はほとんどが今も残っているという。
――サムライが作った弘前の宝その4「剪定バサミ」
鍛冶屋さんの、三國徹さんのお店を訪問した。
弘前市には、江戸時代から続く鍛冶屋さんが5件も現存する。三國さんのお店もそのうちの一つだった。
三國さんが今も作っているのは植木屋さんがつかう「剪定バサミ(せんていばさみ)」。
剪定ばさみは、弘前藩の刀鍛冶だった職人が明治に開発したものでとにかくすごい切れ味。
「りんご」の開祖はサムライだった!?
――サムライが作った弘前の宝その5「りんご」
長勝寺の南側へ移動。
林檎畑(100年以上続く農家)のオーナー、工藤貴久さんが案内した。
弘前は市町村別の出荷量で全国1位のリンゴ王国となっている。なんと年間6億個も出荷している。
「実はあまりリンゴを食べない……」というタモリ。「でも他人の家で食うとなぜか美味しい」と笑う。
”芯止め”の工夫で収穫をしやすく
農園にずらりと並ぶ全てのリンゴの木は、中心の太い幹を大胆にカットし周りの低い枝にリンゴをわざと集中して実らせ収穫をやりやすくしている。さらに根も活性化され木が長生きするという。
また、この方法で作るリンゴは養分がより行き渡って美味しいリンゴになる。
リンゴ農園はサムライの失業対策だった!?
リンゴ栽培は、明治になりサムライが仕事を失って初めたのが始まり。
弘前藩主の「リンゴの開祖」こと菊池楯衛(きくちたてえい=1846年~1918年)は、西洋で研究したリンゴを接ぎ木で増やす方法を確立、増やしたリンゴの苗は弘前一円に配り、リンゴ栽培を広めたと言う。
工藤さんのお宅で作ったリンゴを”りんごカッター”で切り、タモリと近江アナが試食した。「やっぱりよそのうちでいただくリンゴはうまい!」と笑う。
菊池楯衛のソメイヨシノ
――サムライが作った弘前の宝その6「桜」
一行は再び弘前城へ。
弘前城の「東内門」は江戸時代に作られ重要文化財となっている。
ここで案内したのは、海老名雄次さん(弘前市公園緑地課)。
東内門を過ぎた所にあるのは日本で最古の「ソメイヨシノ(樹齢135年)」。
ソメイヨシノの平均寿命はおよそ60年だが、この桜は平均寿命の倍も生きている。
サムライの世が終わった明治15年、リンゴの開祖、菊池楯衛がこの場所にソメイヨシノを植えたという。
明治初期、荒廃した城を守ろうと、私財を投じ1千本の桜を植えた。
弘前城のソメイヨシノはリンゴ栽培の技術が応用されており、「芯止め」されている。さらに「お礼肥え」という
そのため、このエリアの桜の木は度の桜も長生きで、樹齢100年以上の木が400本もある。
(※2017年7月8日放送)
ブラタモリ反響ツイート
出てる人全員会場にいるの面白過ぎるでしょ pic.twitter.com/sVycvJAlkY
— 水(みくまり)分 (@_39ML_) 2017年7月8日
今夜のパブリックビューイングでは、出演者が画面に登場する度に大盛り上がりのようです。#ブラタモリhttps://t.co/2B9dwhQqVN
— Twitter モーメント (@MomentsJapan) 2017年7月8日
https://twitter.com/aquaasia24/status/883646226154962944
ブラタモリの視聴率、安定してるのね♪ 嬉しい!(^^)!
— Makkaa (@tamosanyanen) 2017年7月11日
大宮編 14、2%
弘前編 14、3%#ブラタモリ #タモリ #草彅剛 #NHK
今回ブラタモリ弘前が内容がペラい、もっとらしい切り口があったと見かけて、言いたくなる皆様の郷土愛も一青森人としてすごくよく分かるけど、スポットが当たること事態が希有な状態に慣れてるアラフォーのおっさんからはまずはまな板に乗っただけで御の字で、そこを踏み台にまずは来てもらうこと→
— 東奥人 (@aoren119) 2017年7月12日
前回のブラタモリ
ー製作中ー
次回のブラタモリ「秩父」
次回のブラタモリは、秩父。15日(土曜日)よる7時30分。