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【ルートまとめ】NHK ブラタモリ #75「名古屋(前編)」▽タモリ、名古屋初上陸!デベロッパー家康が作った城と城下町を探索【2017年6月10日(土曜日)放送内容】

ブラタモリ「#75 名古屋・前編」

2017年6月10日(土曜日)に放送された「ブラタモリ」(#75)。遂にタモリさんが名古屋初上陸を果たしました。

前編の今回は名古屋城と城下町を作った徳川家康の都市開発プランについて…活気ある街をどのように作ったのかその痕跡を探索。

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ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年6月10日(土曜日)7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【番組副題】 #75 名古屋
【ロケ地】 名古屋
【司会】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【ナレーション】 草彅剛
【テーマ曲】 井上陽水

名古屋城からロケスタート

タモリと近江友里恵が名古屋城前からロケスタート。

近江アナは初めての名古屋城、そしてタモリ名古屋城は初めて。

ふたりとも名古屋を乗り換えで経由したことが数回ある程度だという。

人口230万日本を代表する巨大都市にタモリが初上陸した――。

実は名古屋弁ネイティブなタモリ

タモリは名古屋にはあまり訪れたことはないが、名古屋出身の友人はとても多く、友人本人だけでなく家族ぐるみで付き合いがあるという。

みんなで集まる時は全員が名古屋弁で喋るので次第に名古屋弁がうまくなった。

「(その時に覚えてしまったから)名古屋弁はほとんどネイティブに近いぐらいに喋れるよ!」と笑うタモリだった。

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今日のテーマ「尾張名古屋は家康でもつ」

――タモ手箱が登場。

今回のテーマは「尾張名古屋は”家康”でもつ」。

名古屋城学芸員、市澤泰峰さんが案内した。

御三家の内、織田信長豊臣秀吉尾張(名古屋)出身だが、なぜか三河出身の家康は名古屋とはとても深いつながりがあるという。

室町時代名古屋城のエリア”は単なる荒れ地だった?

清須(きよす)は、名古屋から6km北にある城下町。

室町時代より尾張の国の中心地はこの名古屋城ではなく、清須にあった――。

1610年清須に代わって荒れ地だった場所を開拓し、新しい城と町をイチから作った人物が徳川家康だったという。

今の名古屋城と城下町は、徳川家康が作った町だった…。

名古屋城本丸へ

タモリ一行は、城の中心「天守」がある本丸へ向かった。

高さ36.1m、延べ床面積は日本一のお城、目の前に巨大な天守閣が見える。

天守閣は、1959年に再建したもの。江戸時代を通じ昭和20年まで残っていたが、惜しくも戦争の空襲により城は消失した…。

しかし写真や図面が豊富に残っていたため修復も進んで当時の雰囲気を残したまま忠実に再現されている。

名古屋城のシンボル「金のシャチホコ

名古屋城の名物「金のシャチホコ」は江戸時代に作られ、純金200kg分、ウロコ430枚から出来ている。

純金のため、江戸時代から昭和にかけて3回位ウロコは盗まれているという。

江戸時代には大凧に乗ってやってきたり(歌舞伎の題材にもなっている)、昭和12年(昭和12年1月8日 朝日新聞より)には、ウロコ58枚が盗まれた。怪盗は当時調査のために組まれていた足場を伝って盗んだが大阪で換金した時に足がついて捕まったという…。

搦手馬出(からめてうまだし)へ

一行は搦手馬出(からめてうまだし)へ。

搦手馬出とは、城を強力に防護するための構造物のひとつ。

出入り口の前面を塀で囲うことで、攻めてきた敵を誘導しつつ一網打尽に出来る。

また、城から馬などを出兵させる場合も搦手馬出があるおかげで味方を援護しながら送り出せるという利点があった。

勝利の徳川”強いお城”を目指して――

名古屋城が築城したのは1610年、時は関ヶ原の戦い徳川家康側が勝利――。

その後、豊臣家を滅亡させるため大阪の陣に備えて強い城を作っている真っ最中だった。

搦手馬出を作る石垣は、マグマが固まって出来た花崗岩(花崗閃緑岩=かこうせんりょくがん)や、砂岩(もろい砂岩の中でも固いものを選んでいる)を使って非常に緻密で堅い作りになっている。

また、石垣づくりの担当はとても細かく区分けがされていて、担当する大名がそれぞれ自腹で石を持ち寄り石垣を作った。

これを天下普請(てんかぶしん)といい、負けた豊臣側の大名たちが沢山動員された…。

主な目的は関ヶ原の戦いで負けた豊臣側の財力を削ぐため。それまで豊臣家を支えていた大名たちが自己負担で名古屋城の石垣づくりに強制的に参加させられている。

近江友里恵アナも負けた大名たちが強制的に参加されていると知って「ありゃ~!」とびっくり。

”台地のヘリ”と言う立地で強い城を

名古屋城は、熱田台地のへり(隅)に作られていた。

この地形のおかげで城の4つの方向のうち2つの面(北面と西面)は足場の悪い湿地帯が広がっており、敵が攻めにくい。

残る二面(南面と東面)さえ強固な壁を作れば効率よく城を強くできたという。

家康は3つの守りでより強い城作りを目指した。

  1. 立地 … 地形の特徴を掴み、敵が攻めにくい台地のヘリに城を作った
  2. 天下普請 … 戦で負けた敵自腹で城の建築に出資させ敵の財力を削ぐ
  3. 馬出 … 敵が攻めにくい構造づくり

新・城下町の開発”家康の狙い”とは?

名古屋城を離れたタモリ一行は、城下町をテクテク歩く。

本町通りを歩いていると、城下町を案内してくれる名古屋市教育委員会学芸員、木村有作さんが登場した。

城の南には碁盤の目のようにきれいな正方形(1辺約100m)の町割りができている。(「御城下之図(名古屋市博物館・所蔵)」より)

この周辺では家康が作った町割りがそのまま現代まで残っていた。

碁盤の目のような町割りの一番広いところは、お城の南に続く強い台地をそのまま使って城下町にしている考えられた作り。

町人優先で活気のある街を

しかも、その町にはお武家ではなく清須から連れてきた数万の町人を優遇し城の中心に移住させて住まわせていた。

町は間口を全方向に配置し通りを挟んだお向かい同士が向き合うようにし通りに活気を出している。「家康はデベロッパーですからね~」とタモリも感心。

大阪等では一方向にしか間口を設けなかったが、名古屋の町割りはどの通りもお店が向かい合わせになるように全方向に間口を作るという工夫もされていた。

このように家康は町人を優遇し、城下町全体に経済的な活気をもたらしていた。

さらに碁盤の町屋の中心には中庭のような空き地となり、「閑所」と呼ばれる共有地となっていた。

ここに寺や神社も建っている。また現代この場所にはタワーパーキングが数多く建設されていた。

(※2017年6月10日放送)

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ブラタモリ反響ツイート

次回のブラタモリは「名古屋(後編)」

次回は名古屋後編。

前回のブラタモリ

<―製作中―>

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