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yonta64のテレビ番組ブログ

テレビ番組を見ながら興味のある内容を記憶。ガッテン、モヤさま、etc。放送後の反響ツイートなどを紹介しています

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反響要約「NHK ブラタモリ #61 水戸」▽水戸城跡、水戸一高、弘道館、偕楽園ほか【2017年1月28日(土曜日)放送内容】

ブラタモリ「#61 水戸」

2017年1月28日(土曜日)7時30分から放送の「ブラタモリ」は、水戸。

JR水戸駅より、水戸城跡、水戸一高弘道館偕楽園などをめぐりながら水戸光圀公が人気になった秘密を探る。

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ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年1月28日(土曜日)よる7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【番組副題】 水戸(#61)
【ナビゲーター】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【ナレーション】 草彅剛
【オープニングテーマ曲】 井上陽水「女神」

JR水戸駅前よりロケスタート

JR水戸駅の駅前よりロケスタート。タモリと近江友里恵アナが登場。

水戸には、二人とも初上陸。駅前には水戸光圀公と助さん格さんの像があった。さらに、水戸光圀公のコスプレをした人物が登場。今回のテーマをタモリに託す。

今回のテーマ「水戸黄門はなぜ人気があるのか?」

今回の、案内役は関口慶久さん(水戸市教育委員会歴史文化財課)。関口さんは文化財課で文化財の保護を行っていて、プライベートでは大のお墓好きだという。

水戸光圀公は、徳川の孫にあたり徳川御三家「水戸家」の二代藩主にあたる。

御三家の所有するお城というと、「名古屋城尾張・62万石)」「和歌山城紀伊・55万石)」「水戸城(水戸・)」とあり、水戸城はとても質素。

水戸駅の近く「水戸城跡」をチェック

タモリ一行は、JR水戸駅の近くにある、水戸城の跡を訪れた。

水戸城のお堀を利用して走るお「水郡線(すいぐんせん)」がある。

下館にはタモリのお友達が住んでいて、大学時代一緒にバンドをやっていた仲間だという。「水戸というとすぐにそいつのことを思い出すんですよ」と笑うタモリ

実はこれから訪れる高校は「水戸一高」でその同級生が卒業した高校だった。

水戸一高茨城県立水戸第一高等学校)は、水戸城の本丸跡に建てられた学校。

「薬医門」から判る水戸藩の財政難

学校内に今もある「薬医門(やくいもん)」を訪ねた。

薬医門は、今も現存している数少ない建物。財政難のため、水戸藩の成立以前(佐竹義宣1570~1633)からあった門を作り直さずそのまま使っている。

実は、堀や土塁なども佐竹義宣が作ったものをそのまま流用している。

それほど水戸藩は財政が逼迫していた。

水戸城天守閣を我々が思い浮かべることが出来ないのは、それがとても質素なものだったため。

当時は「三階櫓」と呼ばれた。名古屋城和歌山城に比べとても小さく復元もされていない。

水戸藩の財政難は江戸駐在のためだった!?

水戸藩の慢性的な財政難は、江戸の駐在が多かったため。

家臣が江戸と水戸両方で暮らさなければならなかったため、他の藩にくらべ財政難がつねにあったという。

今あるものを最大限に活用「お堀」

ここで案内人の、小野寺淳さん(茨城大学教授・歴史地理学)が加わる。

小野寺さんは、江戸時代の地図を研究している。

北に「那珂川」南の「千波湖」に挟まれた台地の上に水戸城はあった。

この台地を歩いているとかつてお堀が会った場所はゆるやかにカーブを描いている。

財政難のおり、水戸藩はお堀も自然が作った谷を掘って繋げて利用して作っていた。

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城下町を拡大!水道をどうする?

水戸城の城下町を拡大するために、水道を整備することになった。

この水道を整備したのが、水戸光圀公。

ここで突然現れたのは、案内人の 安藤寿男さん(茨城大学 地質学・古生物学教授)。

この場所は、よく水が滲み出てくるため水源地として水戸光圀公が大切にしたと言う。以下のような禁止令が発せられていた。

  • この場所で肉食をしない
  • 美味しいものや美味しいお酒を飲みいかがわしい行為をしない

笠原水道では、城下町まで水を引くために石で出来た水道管(暗渠)を整備した。湿地帯にあるため石の水道管には隙間をわざとあちこちに残し湿地帯の湧水も水道管の中に引き入れ利用していたと言う。

光圀が作ったこの笠原水道は、昭和7年まで270年の長きに渡って利用されていた。

笠原水道の水道管に使われた石はどこから?

スーパーひたちがすぐわきを通る線路の敷地へ特別に入場。ここには、笠原水道に使われた石の採石場があるという。

江戸時代に採掘したノミの跡が今も残っている。

石は「凝灰質泥岩(ぎょうかいしつでいがん=火山灰を含む海底の泥が長い年月をかけて固まったもの)」。

あまり重くないので運びやすい、重さも軽めで湿地帯に沈下しないなどとても都合が良い石だった。

水戸光圀公を全国的人気にしたものとは?

弘道館(天保12年・1841・に創設された日本最大規模の藩校)」にやって来たタモリ一行。

偕楽園の梅まつりの四日間しか弘道館は一般に開くことはないが、今回は特別に入らせてもらった。

弘道館の内部では「大日本史」が展示されている。

徳川光圀が編纂した歴史書で、初代から100代までの天皇の治世を記しなんと402巻もある。

編纂には250年の月日がかかっている。(明治まで編纂は続いた)

編纂事業のために光圀は水戸藩士を諸国に派遣した。物語「水戸黄門」は、そうして諸国を漫遊した水戸藩士の行動がもとになってドラマや小説になったという。

大日本史」は幕末には、全国の学校で利用されていた。

徳川斉昭の「偕楽園」へ

偕楽園(かいらくえん)は、天保13年・1842・に創設された大名庭園日本三名園のひとつ。偕楽園は実は教育施設だったという。

水戸光圀公は特に学問を大事にし、弘道館を建設。徳川斉昭はさらに学びの後のフォローとして「偕楽園」を建設した。

youtu.be

偕楽園では「一張一弛(いっちょういっし)」のコンセプトで学びの緊張のあとの精神の安らぎをテーマとして作られている。

そのため、門をくぐるたびに竹林⇒梅林へと変化する仕掛けが作られていた。

また大名庭園につきものの「池」がないのは、近くにもともとある「千波湖」を庭園の池と見立てたからだという。

さらに、水戸納豆が有名になったのは、偕楽園の梅林観光のお土産で水戸納豆が振る舞われたことに由来すると言う。

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ブラタモリ反響ツイート

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