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反響要約「NHK ブラタモリ #60 こんぴらさん」▽象頭山・金刀比羅山宮の成り立ち、当時の金毘羅歌舞伎ほか【2017年1月21日(土曜日)放送内容】



ブラタモリ#60「こんぴらさん」

2017年1月21日(土曜日)7時30分からNHK総合にて放送された「ブラタモリ」は、こんぴらさん。

タモリは小学2年生の頃、出発前に食べたオムライスに当って嘔吐と高熱の中とてもキツイ思いをしながら登ったという……。今回はそんな強烈な記憶が残る金刀比羅宮を、歴史的な観点で見つめ直す旅となった。

ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2017年1月21日(土曜日)よる7時30分(45分)
【放送局】 NHK総合
【番組副題】 #60 こんぴらさん
【出演※敬称略】 タモリ 近江友里恵(アナウンサー)
【ナレーション※敬称略】 草彅剛
【オープニングテーマ曲※敬称略】 井上陽水「女神」

こんぴらさん参道(ふもと側)よりロケスタート

こんぴらさん、正式名称は「金刀比羅宮(ことひらぐう)」。

本宮までは実に785段の階段が連なる。今でも年間300万人の人々がこんぴらさんを目指す。

こんぴらさんのふもとから参道の階段を上がる、タモリと近江友里恵アナ。

近江友里恵アナは、今回が初めてのこんぴらさん参り。

一方タモリは、今回で4回目。

一番最初に訪れたのは小学校2年生位の時、親戚が香川県の丸亀に伯母が住んでいたため、親に連れられて来たと言う。

しかし、岡山県下津井港から船で四国に渡った時に、下津井港で食べた”オムライス”に当たった。船上では嘔吐の連続、そして高熱のため倒れたと言う。

その体で、こんぴらさん参りの階段を登ったため「生涯あんなキツかったことはない!!」と回想。「私が大概の仕事でキツイといったことがないが、それは幼いころここで経験したキツさに比べれば容易いと思うからだ。」と笑った。

お題「人はなぜ”こんぴらさん”を目指す?」

今回の旅のお題は、「人はなぜ”こんぴらさん”を目指す?」

徳島文理大学准教授(近世史)の、丸尾寛(まるおひろし)さんが案内する。

金刀比羅宮に収められた「金毘羅祭礼図屏風」によればこんぴらさんは江戸時代にはとても盛んな一大観光地だった。

当時は日本で最も人が訪れた神社の一つだったと言う。

365段目「大門」へ到着

全行程785段。タモリ一行は、365段目の「大門」へ到着。

「門前町」はこの大門で終了。大門から先は神域(新生な場所)ということで土産物屋を建てることが出来ない。

しかし大門をくぐって神域に入ったはずなのにまだ「売店」が5件もあった。

これはどういうことか?

実は大門で販売を許されているのは「飴売り」だけ。

この飴が呼び水となり江戸時代にこんぴらさん参りが盛んになる宣伝にもなったという。

飴には小さなハンマーが付属しており、そのハンマーで叩いて飴を割り、みんなで分け合って食べつつ、楽しかったこんぴらさん参りの土産話をしたという。

土産話に花が咲けば、話を聞いた人が「次は私もこんぴらさん参りに行きたい」ということになり、どんどん参拝客は増えていったのだと案内の丸尾寛さん。

飴売りは「五人百姓(ごにんびゃくしょう)」と言って、鎌倉時代より三十代(800年あまり)も続いている。

海海上交通安全の神社でもある

江戸時代にこんぴらさん参りを広めたのは、瀬戸内海の船乗り達の力も大きい。

当時、江戸⇒大坂⇒(瀬戸内海)⇒日本海⇒東北へという西廻り航路があり江戸時代の物流を一手に引き受けていた。

かれら船乗りが行く先々でこんぴらさん参りを広めたのだと言う。

ここで、新しい案内人、琴陵泰裕さん(金刀比羅宮 権宮司(ごんぐうじ))が登場。

普段カメラが入らない倉庫で船乗りたちが残した奉納品を見せてくれた。

奉納品の殆どは「流し樽」と呼ばれるもので、酒樽に「奉納」という旗が立っている。

流し樽は、船の上から漁師たちが海に投げ込み、ぷかぷか浮いている流し樽を地元の漁師が回収、担いでこんぴらさんに奉納するスタイル。

海から回収して長い石段を登って奉納を手助けする地元の漁師も大変だが、手助けした漁師にも金刀比羅宮のご利益があるということで、昔から続いている。

奉納品には酒樽だけでなく、太い木や錨、巨大な貝殻なども奉納されていた。

「玉垣(奉納物)」を並べる参道を延長する工夫

477段目で参拝ルートが急に直角に曲がり、628段目で元のルートに戻っている。

これは、当初(江戸時代初期)参拝ルートはほぼまっすぐに伸びていたが急激に増えた奉納物(神社でよく見る寄進者の名前を刻んだ石碑)を参道両側に並べるのに必要な参道の長さが足りなくなった。

そこで大正時代、必要な長さをさらに確保するため、参道を大きく曲げて必要な距離を確保したという。

785段「本宮」へ到着

タモリ一行は、ようやく785段の本宮へ到着。お参りした。

本宮の近くの展望台で、讃岐富士や瀬戸大橋がきれいに見える眺めを堪能。

そこには、香川大学教授(応用地質学)の、長谷川修一さんが待っていた。(2017年1月14日放送「さぬきうどん」の回でも登場)

金刀比羅宮は、象頭山(ぞうずさん・標高538m)と呼ばれる山にあり、海から見ると山の形がゾウのように見える。

本宮は丁度ゾウの目の部分に位置し、その独特な形で海上交通の目印としても活躍した。

象頭山の形は「不完全なメサ」だった。

メサとは、スペイン語でテーブルの意味。柔らかい地質の上に固い別の地質が水平に乗った地形を言い、テーブルのようにてっぺんが平面の形をしている。

メサ - Wikipedia

象頭山も花崗岩で出来た山の上に1400万年前噴火が起きて、固い安山岩の溶岩が花崗岩の上に乗り柔らかい周り花崗岩が風化して(真砂・まさ=花崗岩が崩れ砂状になったもの)削られテーブル上に花崗岩が乗ったメサになったと言う。

本宮が出来た場所は、花崗岩と安山岩の境目に建設されていた。固い安山岩のエリアには建物が建てられない為、頂上には本宮を作らなかったという。

金毘羅参り「俗の部分」へ

タモリ一行は、再びふもとの門前町へ。

ここで、こんぴらさん参りの「俗」の部分をチェック。

「神域の近くには俗のエリアがなければ(神社は)ヒットしない」とタモリ。

ここでは、富くじや歌舞伎が盛んだった。富くじの1等賞は「銀六貫目(約700万円)」。

旧金毘羅大芝居(金丸座)へ

富くじの抽選会場になっていたのは、「旧金毘羅大芝居」。

お茶の水女子大学(芸能文化史)教授の、神田由築さんが劇場を案内した。

旧金毘羅大芝居(金丸座)は、現存する日本最古の芝居小屋で天保6年(1835年)の建築、重要文化財となっている。

内部には、「花道」と「枡席」がある。

ここでは、月に二回も富くじの抽選が行われていた。枡席は意外に狭い。江戸時代には4人ギュウギュウになって一つの枡席に入っていた。

タモリは、花道の真下にある「すっぽん」と呼ばれる上り舞台を体験した。

こんぴらさん参りで利用されていた鉄道事情

ここで、廃線鉄道が大好きな鉄道愛好家の、石川茂行さんが登場。

石川さんは、香川県の鉄道の廃線跡を訪ね歩いているという。

上にJR、下に琴電が走る立体交差には、今は廃線になったもう一つの鉄道が走っていたと言う。

廃線となった電鉄は坂出と琴平をつなげていた「琴平急行電鉄」。

使われたのは、昭和5年から19年まで14年ほどの短い期間。「琴急と呼ばれ幻の電車と言われる」。

今も痕跡が残っていて鉄橋の土台コンクリートなどが残っている。住宅の角度も線路の角度に従って斜めに整地されている。

かつて琴急の琴平駅があった場所は、今は、琴平郵便局になっていた。

特別に郵便局の屋上に上り、建物の並びからかつての線路の状態がよくわかる。

実はかつて、琴平だけで4つも駅が建っていてかつてのこんぴらさん参りの盛況具合がうかがえる……

  • JR(現役)
  • 琴電(現役)
  • 琴平急行電鉄(昭和19年廃線) … 坂出と琴平を結ぶ
  • 琴平参宮電鉄(琴参)(大正11年開業) … 丸亀と琴平を結ぶ

タモリは、小学生の頃辛い思いをしてこんぴらさん参りをしたが、その時親戚のいる丸亀から琴平まで「琴平参宮電鉄(琴参)」を利用している事を知る。

60年前にこの場所に来ていたことが判るとこんぴらさんへの思いもさらに深まった。

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