yonta64のテレビ番組ブログ

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要約「ブラタモリ #40 伊勢神宮」▽式年遷宮の謎、内宮、外宮、御師ほか【2016年6月4日(土)放送内容 NHK】



ブラタモリ「伊勢神宮」

2016年6月4日(土曜日)放送の「ブラタモリ」は、伊勢神宮。

人はなぜお伊勢参りをするのかをテーマに、式年遷宮の謎や当時の内宮・外宮を訪問し御師ほか当時のお伊勢参りを追体験した。

ブラタモリ番組データ

【放送日時】 2016年6月4日(土曜日)よる7時30分(約45分)

【ロケ日】 2016年4月5日
【放送局】 NHK総合
【放送副題】 #40 伊勢神宮
【出演】 タモリ
【アシスタント】 近江友里恵(NHKアナウンサー)
【ナレーション】 草彅剛

伊勢神宮鳥居前からロケスタート

タモリと近江友里恵アナが、伊勢神宮(内宮)の有名な五十鈴川にかかる宇治橋の鳥居の前にいる。

天候は曇り空時々雨もぱらつく。

近江友里恵アナは中学の修学旅行で来たことがあるという。嵐山もそうだけどなにかというと修学旅行で来てるね!修学旅行以外では旅行はしないの?と笑うタモリ。

プライベートでの旅行もあるんですけどなぜかブラタモリのルートが私の修学旅行の思い出をたどるコースになっていると微笑む、近江友里恵アナだった。

何年か前に「1度は行っとかないと」ということでプライベートで旅したことが会ったとタモリ。

お題「人はなぜ、伊勢を目指す?」

今回のタモ手箱、お題は「人はなぜ、伊勢を目指す?」

伊勢神宮の広報を担当している、石垣仁久さん(神宮権禰宜・神職)が案内する。

現在でも、伊勢神宮には年間800万人くらいの人が参拝する。

江戸時代から「一生に一度はお伊勢参り」ということで庶民の憧れになっていたと考えられる。

宇治橋も20年で架け替え

宇治橋も式年遷宮と一緒に20年間で架け替えする。

20年間で橋の表面の木が最大10cmもすり減るという。昔は固い草履や下駄だったのでもっと木がすり減っていたという。

タモリが、「みなさん、お伊勢参りは柔らかいゴム底で来ましょう」と笑った。

清流「五十鈴川(いすずがわ)」

伊勢神宮にお参りして最初にお清めを行う。

お清めは、五十鈴川の清流で清めるのが習わし。タモリも川の水で手を洗いお清めをした。

皇學館大学の学生の団体が長蛇の列。この日は入学式だった。皇學館大学は元々伊勢神宮の学校で学生たちは神職を目指す。タモリのお父さんは皇學館大学が第一志望だったという。お父さんは神社関連が好きでアルバイトはすべて神社関連だったという。

伊勢神宮 内宮

伊勢神宮内宮は、太陽の神と言われる「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が祀られている。

二十年に一度、社殿のすべてを建て替える「式年遷宮(しきねんせんぐう)」でも有名。

内宮・正殿と河岸段丘

内宮は、河岸段丘の上に建設されている。

これは、水害から建物を守るため。昔から川が反乱していたため低湿地ではなく地盤がしっかりとした河岸段丘を選んで作られている。

実際、案内の石垣さんも現在参拝者が歩いている道を反乱した水が流れるところを何度が見ているという。

伊勢参宮名所図会によると、しっかりと河岸段丘が描かれている。

式年遷宮 20年の謎

式年遷宮とは、7世紀 持統天皇の頃より行われる。

20年に1度ご神体を移す伊勢神宮最大の神事となっている。なんと1300年繰り返されてきた。

20年に1度神殿を新しくすることで参拝者や関係者たちにお参りをする機運を高めていたのではないかという。

さらに日本の他の神社は、漆などを使って長期間持つような工夫がされているが、神明造りという、茅葺きで木をそのまま使った伊勢神宮の社殿は長期間持たない。

そこで、20年で新しく建て直しているという理由もあった。

さらにもう一つ重要な理由があった。

タモリ一行は、御稲御倉(みしねのみくら)へ。

ここはお米の倉庫。正殿にも使われている骨組みなどが近くで観察できる。

「棟持柱(むなもちばしら)」など柱が何本もあるが、屋根を支えるのは柱でなく壁。これはお米の倉庫なので湿気や害虫を入れないように隙間を重い屋根の圧力で押さえつけている。

やがて20年程度経つと、屋根が押す圧力で壁が縮まりやがて柱が屋根を支えるようになる。柱が直接屋根を支えるようになれば、壁が屋根からの圧力を受けなくなり次第に隙間が開いてしまう。屋根と棟持柱の隙間がなくなるのが約20年だという。

これも式年遷宮が20年ごとに行われる理由のひとつだった。

五十鈴川の水運

式年遷宮の木材は1万本以上と大量で、その運搬には五十鈴川が大活躍した。

ご用材を引き入れる行事「御木曳(おきひき)」は550年以上続いている。

式年遷宮で使われた部材は、日本全国の神社の部材として蘇る。

また、一番大きな棟持柱は、いまも宇治橋の前の鳥居の柱に利用されている。

千枝大志さん(中京大学文学部学芸員)

伊勢神宮をでて、次は名古屋中京大学文学部の千枝さんが伊勢神宮の門前町を案内。

伊勢神宮は、内宮(ないくう)と外宮(げくう)があり、内宮の門前町を「宇治」、外宮の門前町を「山田」と呼んでいる。

山田は宇治よりも8倍の広さがある。

お伊勢参りのキーマン「御師(おんし)」

外宮には、最盛期に611軒の「御師」が居た。

御師とは、今の旅行会社のようなもので伊勢参りの宿泊などのお世話をしていた。

全国でも山田のように大きい門前町は無かったという。

当時の参拝グループのことを「講(こう)」、「伊勢講(いせこう)」と呼んでいた。

伊勢講の団体が、中川原に到着。御師がお伊勢参りの案内をする。

タモリ一行は、当時のメイン通りを追体験しながら歩いた。

伊勢に1軒だけ残る「御師」

伊勢に1軒だけ残っている御師のお宅に訪問。

「旧御師 丸岡宗太夫邸」

丸岡宗太夫は、江戸初期から活躍した外宮の御師。

丸岡宗太夫の末裔、丸岡正之さん(18代目)が邸宅を案内した。一度に50人の大人数を泊めていた。人数が多いのでまな板も巨大。まな板は280年前のもの。

御師は伊勢名物の「めかぶ」を乾燥させたものやカレンダーの元祖「伊勢ごよみ」を配り、全国でお伊勢参りの普及にも務めていた。

御師が全国をくまなく回ったことで伊勢信仰が全国展開したと言われている。

ブラタモリ反響ツイート

https://twitter.com/443_sadawo/status/739339443094622208

https://twitter.com/spaceairair/status/739374313694859264

次回のブラタモリは…

次回のブラタモリは、#41 お伊勢参り。11日(土)夜7時30分。

yonta64.hatenablog.com

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